奈良まで国宝仏に会いに行ってきた!奈良博「超国宝」展のスゴさ

ポストカードより 仏像
ポストカードより

もう会期は終わってしまいましたが、実は梅雨入り前に弾丸旅行で、奈良まで行ってきました。お目当ては、奈良博の「超国宝」展です。京都のオーバーツーリズムを避ければ大丈夫だろう、という思いでしたが、やはり海外からのツーリストたちの量は凄まじいかぎりです。本気で「ここは日本か?」と思うくらい。日本人ピークの時のハワイ・オアフ島の方が、京都駅よりまだ日本語が聞こえたくらいな気がします。奈良に行くには、京都は通らないわけにはいかないし。そういえば以前韓国人の若い女性に、スーツケースで足を引っ掛けられ、転ばされたことあったっけ…。思い出すだけで腹が立つわー。

仏像館

仏像館

仏像の国宝数は、奈良県がダントツ

という愚痴はともかく、明治28年に開館した奈良国立博物館は今年で130周年となり、その記念事業として企画された特別展が「超 国宝─祈りのかがやき」だったのです。奈良にある国宝をはじめ、日本各地から国宝と重要文化財が集合していました。この展示会は東京まで巡回するのかなぁ、とちょっと期待したのですがそれはなく、展示物の大半が奈良県に所蔵されている国宝なので、費用的にもセキュリティ的にも旅はさせられないのでしょう。でも、トーハク(東京国立博物館)でこの特別展をやったら、超人気になっただろうなぁ。そう思えるほどの、豪華キャストでした。

法隆寺・夢殿の仏像配置

法隆寺・夢殿の仏像配置(ピンボケで申し訳ないです)

国宝の宝庫・法隆寺から多くの出展が

中でも法隆寺の「百済観音」と呼ばれる観音さまと、中宮寺の菩薩半跏像、この2体だけでも観覧の価値があると言われるほどの仏像で、ご本尊が外出中の中宮寺は大変だったのではないかと思います。ちなみに、中宮寺へは直接のお参りをしなかったのですが、法隆寺へは行きました(隣なのに…)。夢殿のご本尊・救世観世音菩薩がご開帳となっていたのでこの機会を逃すものかと。救世観世音につきましては、また別の機会にご紹介しましょう。中学の教科書にも登場する有名な仏像、魅入られる顔とお姿ですから。
さて、法隆寺の方からも大宝蔵院のご本尊・百済観音も奈良博へおでかけでしたので、こちらも身代わりの仏さまがトーハクからおいでになられていました。今回、私は国宝仏とレプリカの両方を拝ませていただいたのですが、法隆寺を参拝されていた方々はレプリカだと気づかれていた人はあまりいないようでした。だからこその「身代わり」なのでしょう。中宮寺にも身代わりの仏さまがいらしたようです。

仏像館に収められている仏像(五大明王像)

仏像館に収められている仏像(五大明王像)

人生で何度出会えるか、くらいのレベル

「超国宝」展では、その仏さまを拝顔したいがためだけに、トーハクまで出かけた仏像が何体もありました。円成寺の大日如来坐像、深大寺の釈迦如来倚像、薬師寺の吉祥天像など、心の中で「おー!」「マジぃ!?」「こんな近くでいいわけ!?」など、たぶん声にも出ていたのではないかと思いますが、感嘆しながら人混みの後ろから眺めたり、ちょっと近づいてみたりしながら、至福の時を過ごしました。深大寺には直接何度も出かけたので複数回拝顔してはいますが、関東近隣以外では、何度もお会いすることはなかなかできませんよね。

金峯山寺の仁王像。この大きさ!警備員さんと比較してみて

金峯山寺の仁王像。この大きさ!警備員さんと比較してみて

現在仏像館には金峯山寺の仁王さまが

奈良博の素晴らしいところは、この特別展が開催されていた東西新館よりも、仏像館という仏さまだけを展覧している建物があることです。この建物自体も明治時代のもので、重要文化財に指定されている西洋建築物です。加えて奈良博が所蔵する仏像の写真撮影はOKとあって、「超国宝」展より時間をかけて見て回ったような気がします(空いてましたし)。
特に今は、吉野の金峯山寺の仁王門大修理のため、仁王さまがここに鎮座されているのが一層の驚きです。吉野山からお出になるのは造立以来はじめてのことだとか。仁王門の修理の終了は令和10年となっていますから、あと3年ほどは仏像館においでになります。まぁ、その大きいことといったら!金峯山寺のご本尊があれだけの大きさですから(詳細はこちらの回に)、その入口を守る仁王さまは、このくらいの大きさが必要でしょう。
また奈良博にはこのほか、中国古代の青銅器を展示する青銅器館や茶室を擁した庭園、春日大社の塔跡などもあります。

興福寺・阿修羅像(左)と五部浄(右)

興福寺・阿修羅像(左)と五部浄(右)

博物館の立地も宝物と神鹿で溢れてる

トーハクも元は寛永寺の境内だった場所にあり、周りをいくつものお寺に囲まれる上野公園の一部として立っていますが、奈良博はそれ以上の立地にあります。
東側には興福寺、北側には東大寺、西側には春日大社、このため奈良博を囲む一帯の公園には、神の遣いである鹿たちが自由に行き来しています。神鹿は約1400年の歴史があると言われ、この神鹿信仰の始まりは、茨城・鹿島神宮の祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗って、春日山へやってきたという言い伝えによっています。

秋にトーハクへやってくる運慶仏

秋にトーハクへやってくる運慶仏

というわけで、実は奈良博の周りの寺社の宝物殿は、各社の国宝・重文が所蔵されている、国宝の溜まり場(?)のような場所で、その中心に位置するのが奈良博です。今回の特別展に参加していなかった、興福寺の千手観音や阿修羅像をはじめとする八部衆、白鳳時代の仏頭なども足を伸ばして展覧してきました(天燈鬼・龍燈鬼は展覧会にお出まし)。しかし、興福寺の阿修羅像はハンサムで大人気の仏像ですが、もし全体が欠けずに残されていたら、五部浄(ごぶじょう)像の方が、私はハンサムだと常々思っているのです。
そうそう!秋には興福寺からトーハクへ運慶作の仏像がやってきます(特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」)。今年は奈良の仏像をたくさん拝めそうですね。

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