鈴子

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国宝仏

奈良・古の都を訪ねてみたら、やっぱり怨霊に出会った

日本の歴史記録の多くが、「古事記」「日本書紀」に依っています。私たちは学校で、平城京・平安京への遷都については、年代までも含めて覚えさせられましたが、初代・神武天皇の時代から都は天皇の宮として記録されています(記録されてない天皇もいるのですが…)。
一宮

淡路島に棲まう神々を訪ねる

淡路島は、気候に恵まれた大変豊かな土地がらです。一番有名なのは「玉ねぎ」でしょうが、とにかく何でも美味しいのです。海に囲まれているから当然ですが、海産物は何でも、牛肉も豚肉もブランド肉が何種もあり、世界に名高い神戸牛や松坂牛になる子牛たちの産地でもあります。
巡拝

日本の始まりはどこ?! ここかもしれないオノゴロ島に行ってみた!

新年最初のこととして考えてみたのですが、日本の根幹をなす神さまとはどなたでしょう。アマテラス?(伊勢神宮の神さま)オオクニヌシ?(出雲大社の神さま)国之常立神(くにのとこたち)?(古事記で最初の神とされている)日本には八百万もの神さまがおられて、一言では言い切れませんね?それでも、やはり日本を作った神さまならば言えるのではないでしょうか?
守護仏

2025年はどんな年? 詣るとよい寺社は?

2025という数字は、45×45=2025というスクエアの美しい数字であり、和暦の昭和換算すると100年目にあたります。また、占星術的には248年ぶりの星の配置になるそうです。2025年乙巳の年にお詣りするとよい東京の寺社をご紹介しましょう。困難に出会う人も増えると思われるこの年、特別な寺社も組み入れました。年明け早々、いろんなニュースがありましたしね。
巡拝

義経伝説も残る恐山の浄土、仏ヶ浦の絶景を訪ねる

前回、恐山菩提寺をご紹介しましたが、この霊場とセットで、というより欠かせないスポットが恐山菩提寺から直線距離で24キロほど西にいったところにあります。その名も「仏ヶ浦」、古くは仏宇多と呼ばれていたようです。昭和16年に国の名勝及び天然記念物に指定された景勝地ですが、恐山を訪れた修験者や参拝者にとっては、縫道を抜け石山を通り、大岩の間をくぐるようにしてこの海岸までたどり着くことが、修験や祈願の最終となっていました。
霊場

極楽と地獄の景色が広がる青森・恐山菩提寺

私はこの夏、青森県のむつ半島にある恐山菩提寺に行ってきました。この世で一番、地獄と極楽に近い場所と言われていて、地元で伝わる「人は死ねばお山(恐山)に行く」というものが全国へと広まったことで、多くの人たちが死者に会うために訪れる場所でもあります。イタコ(巫女)の口寄せと呼ばれる、死者のメッセージを口伝する人たちがいることでも知られています。
偉人

日本人の美徳は二宮金次郎さんに集約されて

今日のニュース(学校から最後の二宮金次郎像が撤去された)を見ていて、やっぱり寂しく思い、過去の記事(東京のパワースポットを歩く)をこちらに転載することにしました。二宮尊徳という人物は、日本人が日本人として尊敬される人格をまさに体現した人だと思っています。「こんな人になりたい」と思えなくなる人だらけになったら、日本国は終焉してしまうのではないでしょうか。
時事ニュース

6年ぶりとなった天下祭・山王祭が今週末に開催

今年、令和6年は交代に「山王祭」の年となります。こちらは2回中止となったため、なんと6年ぶりのお祭りが今週、6月7日に行われます。つまり令和になって初めてとなるわけですね。「山王祭」は東京都内、皇居の周りを300メートルにもなる神幸行列が渡り歩きます。深川祭や神田祭などのお神輿渡御が躍動的で力強い一方で、こちらの行列は雅で静々としています。平安絵巻に出てくる衣装をまとった氏子衆たちの姿が、お堀そばや銀座、日本橋界隈に長く連なるのです。
一宮

金沢と築地の関係は? 加賀一宮・白山比咩神社に参拝

石川県、古い呼び名では加賀国と能登国になりますが、江戸時代にこの地を治めた加賀藩は、大名の中で最大の石高を有して加賀百万石と称され、江戸・大坂・京に次ぐほど裕福な藩でした。正確に言えば、加賀藩の領地は現在の富山県の一部も含み、能登半島には幕府領もありましたが、長く続いた戦国時代の発端である応仁の乱の端緒、畠山氏と斯波氏の地盤であり、一向一揆などでも知られる土地柄でもあります。日本海から得られる豊かな富は、古来この地を繁栄させてきました。
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