松潤も訪れた「久能山東照宮」
義経伝説も残る恐山の浄土、仏ヶ浦の絶景を訪ねる
前回、恐山菩提寺をご紹介しましたが、この霊場とセットで、というより欠かせないスポットが恐山菩提寺から直線距離で24キロほど西にいったところにあります。その名も「仏ヶ浦」、古くは仏宇多と呼ばれていたようです。昭和16年に国の名勝及び天然記念物に指定された景勝地ですが、恐山を訪れた修験者や参拝者にとっては、縫道を抜け石山を通り、大岩の間をくぐるようにしてこの海岸までたどり着くことが、修験や祈願の最終となっていました。
極楽と地獄の景色が広がる青森・恐山菩提寺
私はこの夏、青森県のむつ半島にある恐山菩提寺に行ってきました。この世で一番、地獄と極楽に近い場所と言われていて、地元で伝わる「人は死ねばお山(恐山)に行く」というものが全国へと広まったことで、多くの人たちが死者に会うために訪れる場所でもあります。イタコ(巫女)の口寄せと呼ばれる、死者のメッセージを口伝する人たちがいることでも知られています。
日本人の美徳は二宮金次郎さんに集約されて
今日のニュース(学校から最後の二宮金次郎像が撤去された)を見ていて、やっぱり寂しく思い、過去の記事(東京のパワースポットを歩く)をこちらに転載することにしました。二宮尊徳という人物は、日本人が日本人として尊敬される人格をまさに体現した人だと思っています。
「こんな人になりたい」と思えなくなる人だらけになったら、日本国は終焉してしまうのではないでしょうか。
6年ぶりとなった天下祭・山王祭が今週末に開催
今年、令和6年は交代に「山王祭」の年となります。こちらは2回中止となったため、なんと6年ぶりのお祭りが今週、6月7日に行われます。つまり令和になって初めてとなるわけですね。
「山王祭」は東京都内、皇居の周りを300メートルにもなる神幸行列が渡り歩きます。深川祭や神田祭などのお神輿渡御が躍動的で力強い一方で、こちらの行列は雅で静々としています。平安絵巻に出てくる衣装をまとった氏子衆たちの姿が、お堀そばや銀座、日本橋界隈に長く連なるのです。
金沢と築地の関係は? 加賀一宮・白山比咩神社に参拝
石川県、古い呼び名では加賀国と能登国になりますが、江戸時代にこの地を治めた加賀藩は、大名の中で最大の石高を有して加賀百万石と称され、江戸・大坂・京に次ぐほど裕福な藩でした。正確に言えば、加賀藩の領地は現在の富山県の一部も含み、能登半島には幕府領もありましたが、長く続いた戦国時代の発端である応仁の乱の端緒、畠山氏と斯波氏の地盤であり、一向一揆などでも知られる土地柄でもあります。日本海から得られる豊かな富は、古来この地を繁栄させてきました。
一生に一度は見ておきたい、奈良・吉野桜と権現さま
長年、ずっと行きたかった「吉野桜」を今年、ようやく見にいくことができました。世の中のご多分に漏れず、私も毎年3月は仕事で汲々としているので、4月の上旬の散り始めた時でも仕方ないなぁ、と半分諦めまじりで予定していたのですが、今年の桜の開花の遅かったことといったら!
3万体ものおひなさまが飾られる町・勝浦へGO!
JR東日本が、内房を走る特急電車を減らすので、地元が反発しているというニュースが、先ほど流れていました。正直、アクアラインの通行料金が安価になって以来、内房への足は、神奈川方面からでさえ車の方が便利ですし、外房に比べて太い道が有料道路と並行して走っていますので、鉄道の優位性があまりないのは事実かもしれません。その分、外房への鉄道の期待は増しているのかもしれないなぁと思っています。
なぜ、このような話をするのかといえば。おひなさまだからです!
浅草寺で「龍」をさがそう!
干支など古来伝わる風習は、旧暦に合わせたものですから、厳密にいえば2月10日からが甲辰(きのえたつ)になるわけで、そんな日にはやはり今年の干支・龍にちなんだ話が良いかなぁと思い、東京は浅草寺(山名が金龍山)の境内にある「龍」をご紹介していこうかと思います。
友人たちと浅草寺を訪れた際、指差しながら龍の存在を紹介すると、みな決まって「教えてくれなきゃ気が付かない!」と言ってくれるので、気を良くして文章にもしておこうかと思った次第です。
日本にしか残らない「節分」の祭り
明日は節分です。簡単に説明すると、節分というのは本来、1年には4回あって四季の変わり目(立春・立夏・立秋・立冬)を指す言葉でした。いつしか、それが立春の前日だけを指すようになったのです(たぶんこれは豆まきと関係してますかね)。これから30年くらいは2月3日の日が多いですが、毎年決まった日になるわけではありません。これは太陽の動きと関係している「二十四節気」という暦のようなものに基づいているからです。