浅草寺で「龍」をさがそう!

東京のパワスポ

ニュースなどで「春節で中国などから旅行客が」などと言っていますが、そもそも春節って何よ!って思ったりしません?
日本では、ハロウィーンやクリスマスを祝ったりしますから、中国(中華圏)オリジナルの春節という呼び名でも悪くはありませんが、日本にだって旧正月という呼び名があります。つまり、旧暦(太陰太陽暦)のお正月のことを、中国で春節と呼んでいるのをそのまま日本で使っているのです。つまり2024年2月10日は、旧正月ということですね。

男姿の天龍

男姿の天龍

旧正月こそが干支の世界では新年?

干支など古来伝わる風習は、旧暦に合わせたものですから、厳密にいえば2月10日からが甲辰(きのえたつ)になるわけで、そんな日にはやはり今年の干支・龍にちなんだ話が良いかなぁと思い、東京は浅草寺(山名が金龍山)の境内にある「龍」をご紹介していこうかと思います。
友人たちと浅草寺を訪れた際、指差しながら龍の存在を紹介すると、みな決まって「教えてくれなきゃ気が付かない!」と言ってくれるので、気を良くして文章にもしておこうかと思った次第です。

女姿の金龍

女姿の金龍

有名な雷門でも龍がお迎え

それでは、まずは総門である雷門から。
総門は雷門と呼ばれ、左右に風神雷神像が鎮座することから、風雷神門とも呼ばれています(提灯の表側には「雷門」、裏側には「風雷神門」の文字が)。大きな「雷門」と書かれた提灯の底部分には、みごとな龍の彫刻が施されています。雷門がこの地へと建立されたのは、鎌倉時代頃と考えられていますが、江戸時代には何度も焼失し、幕末の延焼時から95年の間、浅草寺に雷門は再建されずにいました。昭和35年になり、松下電器産業の社長であった松下幸之助さんからの寄進で、雷門はようやく再建されたという経緯があります。
その他、雷門の正面に山名の「金龍山」の文字、総門裏側の左右には、龍神である「天龍」と「金龍」の像が安置されています。共に光背には龍の図柄が施された優雅な姿を見ることができます。

宝蔵門の大提灯

宝蔵門の大提灯

浅草寺の山門・宝蔵門には仁王さまが

仲見世を抜けると、左右に仁王像を擁する宝蔵門が見えてきます。この門は仁王門とも呼ばれますが、楼門内には釈迦如来と四天王像なども安置してあります。
こちらに掛かる「小舟町」の提灯底にも龍の彫刻があります。ちなみにこの「小舟町」とは日本橋小舟町のことで、江戸時代にこの地で財をなした町人たちが大提灯を奉納したことに始まり、現在までその奉納が続いています。江戸時代日本橋といえば、江戸の台所を預かる魚河岸でしたから、漁師が引き上げた観音さまを祀る浅草寺には、深いつながりを感じていたのでしょう。また、この仁王門の裏には、長さが4.5メートルもある大わらじがかけられています。このわらじは、山形県村山市が奉納された仁王さま用のものです。

お水舎の「墨絵の龍」

お水舎の「墨絵の龍」

お水舎にも必ず寄って、龍を見よう

本堂の右手前にあるお水舎の天井には「墨絵の龍」が、八角形の手水鉢の上には、高村光雲作の「沙竭羅龍王像」が立っています。天井を見上げ、龍王のお顔をしっかりと見ておきましょう。
いよいよ本堂へ向かいます。お堂の真ん中には、「志ん橋」の文字の入った、大提灯がかかっています。この大提灯は浅草寺にかかっている提灯の中で最大の大きさを誇ります。文字からお分かりの通り、奉納は「新橋組合」の方々から。江戸時代から新ばしの花柳会は華やかさで有名でした。今も銀座・築地には有名な料亭が残っていますね。江戸時代に、人々に人気の神社仏閣に名前入りのものを奉納するのは、一種の広告の意味もありました。浅草寺の本堂前に名入りの大提灯を奉納できることは、それだけお金も力もあったということですね。
もちろん、こちらの提灯底にも龍の彫刻が刻まれていて、すべての龍は仏像彫刻家の渡辺崇雲氏の手によるもので、提灯の張り替えが行われた時もこの龍は残されてきたのです。

本堂天井の「龍之図」

本堂天井の「龍之図」

本堂では必ず天井を見上げて

さて、本堂に入ると開放的な広い土間に多くの人たちの姿が目に入ります。この土間の広さが多くの庶民たちを迎え入れてきたのだなぁと感じます。
本尊は秘仏なので、直に拝することはできませんが、両脇に梵天と帝釈天が、また愛染明王と不動明王も左右の宮殿に鎮座します。
正面にお参りをしたら、天井を見上げましょう。左右の天人に守られるかのように、「龍之図」が描かれています。今は若干色褪せてきましたが、天井に描かれた龍図を眺められるお堂(しかも拝観料なしで)はとても少ないです。
本堂正面の出入口両側に掲げられた「仏身円満無背相 十方来人皆対面」という文字は「誰でも、どこから来た人でも分け隔てなく救いの手を差し伸べる」というの意味なのだそうです。

左が「金龍権現」、右が「九頭龍権現」

左が「金龍権現」、右が「九頭龍権現」

小さなお堂にこそ、お寺の起源が

本堂の向かって左手には、小さなお堂がいくつも並んでいます。その中に「金龍権現」と「九頭龍権現」のお堂があります。山名となった権現さまと、戸隠山から勧請された神さまで、今はちょっと忘れ去られ気味の存在ですが、辰年となる今年はお参りしておく価値はあるでしょう。
また、宝蔵門の外にあるお堂に、鎮護堂という小さなお堂がありますが、こちらの手水鉢にはちょっと愛嬌のある龍が水を吐き出していますが、この鉢は歌舞伎の市川一門からの奉納で、「人気の泉」という別名で呼ばれてもいます。出世祈願のお堂として知られる鎮護堂で、人気を博した五代目・市川新蔵にあやかってのことでしょう。人気商売の方々にはオススメの龍です。

大提灯底の龍の彫刻

大提灯底の龍の彫刻

実は浅草寺は、昭和20年の東京大空襲により、ほとんどの寺宝と伽藍を焼失してしまいました。そのため、上記の大提灯はじめ多くのお堂が、戦後再建されたものです。ですが、再建時に江戸時代の錦絵を参考に再興したり、数多くの人たちが寄進したりと、歴史あるお寺としては珍しいほどに庶民とともに歩んできたお寺です。門前町が栄えている場所も少なくなってきている今の日本にあって、世界中からこれほど人々を呼び込んでいるお寺もないのではないでしょうか(しかもタダだし)。
お寺近隣には、美味しい食べ物屋さんも充実しています。ホテルビュッフェから食べ歩きのおやつまで、是非、今年は龍を拝みにお出かけください。

浅草寺のお守りにも龍図が

浅草寺のお守りにも龍図が

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