霊峰富士の信仰は古墳時代以前から

一宮
葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」(赤富士)

葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」(赤富士)

世界中に不穏な空気が流れていて、なんとなく日本にも何か起こるんじゃあないか、という警鐘を鳴らす人たちもずいぶん増えました。私自身も「それは嫌だなぁ」と思いながらも、考えてみたら大きな自然災害は発生しましたけれど、世界的にみて日本は78年もずっと平和だったわけで、幸運だっただけかもしれません。海に囲まれている環境も(逆に災害には遭いましたが)良かったのかもしれないです。国土の面積の割に、水も豊かですし。中世ヨーロッパの戦さでは、水利権の諍いが元になったことも多いですよね。

本栖湖の芝桜富士と富士山

本栖湖の芝桜富士と富士山

自然に神々を見出したご先祖さま

考えてみれば、日本は古来、自然災害からの被害という面においては、多大な損害を被ってきました。台風・地震・噴火・津波(TSUNAMI、この言葉自体が世界の共通語になっているくらいですし)など、記録が残る始まりのころから、天災は日本各地を襲ってきていました。これらの被害を抑えてくれるよう、被害を免れたお礼として、理由はさまざまでしょうが天地の神々を祀った祠を作ってきました。水の神、風の神、土の神、病気の神…、最も多いのが山の神でしょうか。
その中でも、日本を代表する山・富士山を奉る神社が「浅間神社」と呼ばれています。

富士山本宮浅間大社の本殿

富士山本宮浅間大社の本殿

浅間神社の総本宮・富士山本宮浅間大社

「浅間神社」には長野県にある浅間山を神山とする浅間神社もありますが、こちらの多くは「あさまじんじゃ」と読み、富士山の方は「せんげんじんじゃ」と読まれています(一部違う神社あり)。元々はどちらも「あさま」と読んでいたようですが、次第に富士山の方は「せんげん」と読み替えられていったようです。
全国には1300社以上の「浅間神社」がありますが、この総本宮とされているのが「富士山本宮浅間大社」です。

山中湖からの富士山

山中湖からの富士山

直近の噴火からすでに300年以上が

富士山信仰は列島に人が住み始めたころからあったと考えられていますが、古墳時代に噴火する富士山へ治まってほしいとの願いを込めて貢物をお供えしていた痕跡が残っています。それほどまでに活動をしていた活火山だったわけで、1854(嘉永7・安政元)年以降、噴火らしい噴火をしていない富士山が噴火することを世間はほぼ想定していないですが、学問的にはまだ若い活火山に分類されるそうです。噴火の歴史をなぞっていると、静かな時期と大変活動的な時期とに分類されています。
富士山の噴火の記録は30回ほど残っていますが、最新は1707年(5代将軍・徳川綱吉の治世)の「宝永大噴火」へと続きますが、2週間続いた噴火で出た火山灰は江戸市中を超え、房総半島まで届きました。ちなみに2012(平成24)年に山腹でわずかな噴気を観測しましたが、異常は確認されませんでした。

甲斐国宮・浅間神社(あさまじんじゃ)

甲斐国宮・浅間神社(あさまじんじゃ)

富士山の噴火を抑えるには一社だけでは足らぬ

富士山最大の噴火と言われるのが、864(貞観6)年から2年近く続いた「貞観大噴火」です。5年後には「貞観地震」(三陸沖が震源)も発生し、大変な時代でしたが、平安の朝廷には藤原氏が台頭し政敵を次々と陥れていました。この頃、富士山は小噴火も含めて、数十年に1度ほどは活動があったようです。
「貞観大噴火」が起こった際、駿河国にはすでに浅間神社が祀られていましたが、占いによると噴火は祭祀怠慢のためと出たことから、駿河だけではなく、甲斐国にも浅間神社を創建するようにと朝廷からの命令が下りました。朝廷としても、噴火が「神からの朝廷へのダメ出し」なんていう噂が広まったりしては大変ですから、噴火の理由をどこかに求めたのでしょう。
こうして、富士山を取り囲むように次々と浅間神社が作られていきました。

錦絵にも描かれた鐵砲洲稲荷神社の富士塚(当時はもっと大きい)

錦絵にも描かれた鐵砲洲稲荷神社の富士塚(当時はもっと大きい)

江戸時代、浅間神社が御符内に増えた理由

江戸の泰平の世になると、富士登山を兼ねた遊山も人気となりました。町内でお金を少しずつ出し合って、順番にどこかへ出かける仕組みを「講」と言いますが、富士山へ行くことを目的としたものを「富士講」、他にもお伊勢さま、こんぴらさま、熊野詣など、江戸の人たちはいつか行けるといいな、と夢をみながらいろんな講に入りました。中でも「江戸八百八町に、富士講八百八講、講中八万人」と言われるほど、富士山は人気がありました。どの町にも「富士講」があったといいます。
そして、富士山へ行くまでは、町内に立てた浅間神社へお参りしました。神社の境内には、富士山に見立てた富士塚もたくさん作られました。

渋谷のビルからも富士山が見える

渋谷のビルからも富士山が見える

富士山と桜は同じ女神さま

江戸時代まで、実は女性は富士山へ入山することはできませんでした。なので「富士講」の順番になっても、行けるのは富士の裾野にある浅間神社まで。まぁ、富士山の祭神は「木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)」という女神さまなので、理屈としてはおかしいのですが、これも日本の宗教が神仏習合となってしまったため、仏教の教えが入ってしまったからでしょうか。だって日本の神さまの最高神は天照大神(伊勢神宮の祭神)という女神さまなのですから、女性の入れない神域というのは変ですよね。
また、木花咲耶姫は、桜の花の神さまとしても知られています。富士山と桜の相性がよいのも納得です。

山宮浅間神社には社殿はなく富士山を拝する(天気がよければ正面に)

山宮浅間神社には社殿はなく富士山を拝する(天気がよければ正面に)

世界遺産としての富士山

そんな富士山が2013年に世界文化遺産となりました。これは富士山だけではなく、富士山に対する信仰としての富士山本宮浅間大社をはじめとした北口本宮冨士浅間神社(山梨県)、山宮浅間神社(静岡県)、須山浅間神社(静岡県)、人穴浅間神社(静岡県)など各浅間神社、また青木ヶ原樹海西湖三保松原忍野八海など富士山を取り囲んで描かれた景色すべてを含みます。富士山は葛飾北斎などに描かれた歴史をも含めての世界遺産なんですね。

現在は千円札の裏側に(本栖湖に映る逆さ富士)

現在は千円札の裏側に(本栖湖に映る逆さ富士)

富士山への憧れが各地にご当地富士を

昨今、外国からの観光客が富士登山へ執念を燃やしている姿がよく報道されますが、富士山へ登ったことのない日本人はかなりいるのではないでしょうか? それは富士山は登るものではなく、眺めるもの、拝むものという気持ちが強いからかもしれません。何しろ紙幣というものが出来て以来、お札のどれかには必ず富士山は描かれ続けてきました(2024年7月からの新紙幣では、ちょっとだけ見える富嶽三十六景の神奈川沖浪裏に)。
例えば富士山が見えない地方に住んでいても、地元の名山に別名・○○富士と呼ばれる異名があります。例えば、磐梯山は会津富士、羊蹄山は蝦夷富士、開門岳は薩摩富士というように。

遠く茨城・利根川の土手から見える富士山

遠く茨城・利根川の土手から見える富士山

富士山はいつでも憧れなのかもしれません。伝説では、聖徳太子が愛馬・黒駒に乗って空を飛ぶように登山したのが富士登山の最初なんだとか。そして、駿河国の一宮は富士山本宮浅間大社、甲斐国の一宮も浅間神社(笛吹市)となっています。
こんなご時世でもありますし、なんとか富士山が大きな噴火しないでもらえるといいなぁと思いつつ、近所の浅間神社にでもお参りに行こうと考えている今日この頃なのでした。

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