世界遺産に見る縄文人の文化と祈り

世界遺産
「北海道・北東北の縄文遺跡群」

「北海道・北東北の縄文遺跡群」

猛暑と豪雨に見舞われ続ける中、皆さんお元気でお過ごしですか?
考えてみれば、まったくお盆(盂蘭盆供)の時期でしたからこの世に戻った精霊たちが好き放題をしていたのかもしれませんね。昔の人たちはこのように自然災害の原因をいろいろなものに求めようとしていました。現在行われている京都の祇園祭は、このような災害を抑えてもらえるよう、荒ぶる神さまに祈願したものとして長く続くお祭りのひとつです。4年ぶりとの報道がなされていますが、実は昨年もしめやかに行われていました。街全体が動いたものとしては4年ぶり、コロナを懸念して控えた結果が今になります。

石器がこんなに大量に出土。多すぎて雨晒し…

石器がこんなに大量に出土。多すぎて雨晒し…

東北と北海道には同じ文化圏が

ところで近年の研究から、人が日本の地で文化的な生活を始めたのは、学校で習っていたよりはるか昔だったことが明らかになってきました。磨製石器(研磨加工した石器)については、日本で世界最古のものが出土しているようです。日本の歴史研究には謎(闇?)がずいぶんあるようですね。
それで、埴輪と土偶の明確な違いさえも理解できていなかった私ですが、友人の一人に縄文オタク(こんな分野があるのか?)がいて、彼女に引かれて「北海道・北東北の縄文遺跡群」のひとつに行ってきました。コロナ禍の2021(令和3)年7月27日に登録された日本で最新の世界遺産です。構成するのは17カ所(13市町)で、できればこれから全部を訪ねたいところですが、今回はアクセスしやすかった北海道函館市の2カ所。一番有名な三内(さんない)丸山遺跡はまたの機会にお預けです。

函館・大船遺跡

函館・大船遺跡

集落の発展とともに祭祀場も変化

登録された理由は、1万年以上にわたって定住した人たちの生活と精神文化を伝える遺跡であること。定住の初期から墓地を作り、祭祀・儀礼を行い、祖先崇拝や自然崇拝、豊穣への祈念や周囲の人たちとの絆づくりなどを伝える痕跡があちらこちらに残されています。集落の成立や多様化、集落が大きくなるとともに祭祀場が大きくなり、これを中心に集落がいくつかに分散、共同祭祀や共同墓地などが誕生していったと考えられています。
現在の私たちと精神的な生活は変わっていないのかもしれません。
1万年の間には、火山の噴火や海面上昇、寒冷化や温暖化などさまざまな自然の変化があったようで、変化の度に集落の形は進化したらしいのです。これら発展が、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の各場所から順を追って知ることができました。
集落が発展するにつれて、墓地と祭祀場は居住地から少し離れた場所に造られるようになり、その門番(管理者)のような住処も確認されています。

みみずく土偶(東京国立博物館所蔵)

みみずく土偶(東京国立博物館所蔵)

埴輪と土偶の違い

さて、ここで埴輪と土偶の違いについてです。埴輪は主に古墳(当時の権力者を葬った場所)に副葬品として収められたもので、古墳時代(3~7世紀頃)に制作されたものです。一方の土偶とは、まさに縄文時代に作られた祭祀のための偶像と考えられています。出土するのは集落の跡で、女性を模ったものが多いとも言われています(今や各種異論も出ていますが)。
特に有名なのは「遮光器土偶」でしょうか(トップ画像)。遮光器(ゴーグルのようなもの)をかけた顔をして、なんだか変わった模様の服をきているぷっくりとした像です。ほかにも「ハート形土偶」「みみずく土偶」といったものがよく知られています。これら土偶の多くは、関東から以北で出土されたものばかりで、関西以南から姿を確認できるものはほとんど出ていません。最も日本最古とされる土偶は滋賀県と三重県から出た部分土偶です。

函館・垣ノ島遺跡には祭祀場の跡がしっかり残る

函館・垣ノ島遺跡には祭祀場の跡がしっかり残る

全国に広がる同じ土偶はどのように流通?

これまでに発見された土偶は約2万点ともいわれ、一部は海外の美術館・博物館にも所蔵されています。多くの重要文化財指定がなされていますが、国宝の指定を受けているのはわずか5点、この中に遮光器土偶もみみずく土偶も含まれません。
土偶のほとんどは、どこかの部分が欠けていたり壊されていたりすることから、人間の身代わりとして祭祀場に奉納されていたのではないかと考えられています。つまり厄祓いですね。そして土偶が祈願の道具であったと考えられている理由は、例えば遮光器土偶やみみずく土偶と似たものが各地で出土しているからです。東北で発達した文化で作造された遮光器土偶が、沖縄県の遺跡で出土していたりもします。
土偶を流通させるような交通網があったのか、商売なのか、悩ましいですよね。何しろ最も新しい時代でも4000年前くらいの話です。

合掌土偶(八戸・是川縄文館所蔵)

合掌土偶(八戸・是川縄文館所蔵)

土偶を作ったのは各地の人か?

女性の姿を焼き固めて、安産や豊穣、厄除けの祭祀として用いたのが土偶であるというのが、現在のところの定説です。
私も、神というか祈る相手の姿であろうかとも思いますが、同じような姿形、あるいは紋様を別の地域で作造できるのかがとても疑問です。後の仏師のような人がいて、各地を渡り歩いて土偶を作っていたのか。それを集落が祀るために買って(当時は物々交換かもしれませんが)いたのか。
というのも、合掌土偶(国宝)にはアスファルト(この時代から使用されていたことに驚き!)で修復された跡があるといいますから、壊した部分を治して再び祭祀で使用していたのではとも考えられます。
日本人の「お参り」という行為は、はるか縄文時代から続く習慣だったことがよくわかります。多くの時代で対象は神ではなかったかもしれませんが、少なくとも自然に存在していた「何か」であったのでしょう。

「中空土偶」函館の畑から出土。長く表に出てこなかったのちの国宝指定に。

「中空土偶」函館の畑から出土。長く表に出てこなかったのちの国宝指定に。

10月1日(日)まで、トーハク(東京国立博物館)のミュージアムシアターでは、この国宝5点(縄文のビーナス・縄文の女神・仮面の女神・合掌土偶・中空土偶)がバーチャルリアリテイで再現され、紹介されています。特に中空土偶は、私が函館で接した全高41.5センチの大きな像で、いろんなところで関連グッズが売られていました。私は「にこにこ土偶」とあだ名をつけて呼んでいましたが、英名が「Hollow Dogu」と知って、まんざら外れたイメージでもなかったなーと思った次第、熱波の日には博物館鑑賞なんてどうでしょう。

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