ハワイが国としての独立を失った日

時事ニュース
Hawaiian Memorial Park

Hawaiian Memorial Park

小泉防衛大臣が、ハワイのメモリアルパークを慰霊したというニュースを見て、時代が動いているなぁとつくづく感じる今日この頃です。門田隆将さんのノンフィクションの本がベストセラーになっているのも、日教組が強かった私の子どもの時代からは考えられないことで、日本もまた、もしかしたらちゃんとした国に戻れるのかなぁと期待してしまいます。

以下は、4年前の夏に書いた記事ですが、消えてしまったもの(間違って自分で消滅させてしまった…)でこちらに再掲しておきたいと思います(2021年8月12日の記事)。

キング・カメハメハの像

キング・カメハメハの像

キング・カメハメハによって建国

明日から日本は旧盆に入りますが、8月12日は私の大好きなハワイにとって屈辱的な日でもあります。それまでハワイ王国として独立した国であったハワイが、1898(明治31)年8月12日にアメリカに併合されました。
ハワイ王国は、カメハメハ1世が1795年に建国を宣言、1810年に全諸島を統一してできた国です。それまでは各島に首長がいてそれぞれが島を治めていました。そんな時代にイギリス人のキャプテン・クックが来航し、王国建国時にはイギリス人ほか西欧人たちがすでに居住していたようです。そしてカメハメハ1世に武器などを供給したほか、火器に熟練した西欧人の顧問をそばにおいていました。ある意味、王国建国の際にすでに西欧の影響を受けていたとも言えます。

イオラニ宮殿の庭園にあるパビリオンには日本の国旗が

イオラニ宮殿の庭園にあるパビリオンには日本の国旗が

「カプ」の消滅とともに

このような経緯をもっていたためでしょう、1843(天保14)年にはイギリスが、1849(嘉永2)年にはフランスがハワイの領有権を主張します(日本は江戸時代、ともに12代将軍・家慶の治世)。もちろん、この時もカメハメハ3世が王様として君臨していますし、その数年前には憲法が制定され立憲君主国としての道を歩んでいました。実はカメハメハ1世が亡くなった直後からキリスト教の宣教師たちが大量にハワイへ渡ってきています。ハワイには伝統的な法律ともいえる「カプ」がありました。今の常識で考えれば、非科学的だったり差別的な考え方もいろいろ含まれていたでしょうが、カメハメハ1世亡き後、これをカアフマヌというカメハメハ1世の寵姫であり以後の王様の摂政を務めた女性が廃止してしまいます。カプはハワイの土着信仰とも結びついていましたので、ハワイの宗教観は混乱、そこへキリスト教が浸透していきます。

ハワイ王国の紋章

ハワイ王国の紋章

咸臨丸が日本への興味へと

この頃、ハワイへは移民がたくさんやってきました。明治元年には日本からの移住も確認できます。これらの話は以前も紹介しましたので、ご興味のある方はそちらも是非。この日本からの移民は、ハワイからの働きかけもあったと言います。1860(万延元)年にアメリカへ渡る咸臨丸が補給のためにハワイを訪れます。西欧人に比べ体格の劣る日本人たちが、自分たちの力で大きな船を操るのを見て、ハワイアンたちは胸を躍らせたといいます。しかもその日本人たちは礼儀正しく、現地の人たちに無茶なことを言ったり、したりもしないのを見て、それまでハワイを訪れた外国船の人たちとの違いに驚いたと記録されています。

ありし日の王宮

ありし日の王宮

白人たちに政治がのっとられ

ところがカメハメハ5世が1872年に突然亡くなります。次の国王を指名していなかったため、憲法の定めにより国王の選挙が行われることになりました。これがハワイ王国の崩壊の始まりです。6代目の王となったルナリロは、たった1年半の治世でしたが、親米派でアメリカ人を閣僚に抜擢するなど、政治の中にアメリカ人が入ってきました。次代のカラカウアは積極的に外交を行います。世界一周を旅し、多数の国を歴訪、日本でも明治天皇と謁見し移民の要請や王女と親王との結婚の提案などをしました。
カラカウアは、日本を含めて太平洋の国々が手を結び、産業の発展を望んでいましたが、すでに内閣に多数いた白人系の議員たちによって(ほぼ力づくで)、新憲法が推進され、先住民たちの選挙権剥奪などが推進されてしまうのです。

カラカウア王

カラカウア王

フラを救った王様・メリー・モナーク

カラカウアは、メリー・モナーク(陽気な君主)と呼ばれるほど華やかな生活を送った王様で宣教師たちによって禁止されていたフラを復活させたり、今もホノルルに残るイオラニ宮殿を建設したりしました。毎年ハワイで行われているフラの大会「メリー・モナーク・フェステバル」というのは、この王様の愛称からきているのですね。
こんな状況下で、カラカウアは病気治療のために渡っていたサンフランシスコで亡くなります。怪しいですよねー、なんでアメリカ行くかなー。日本で治療すればよかったのに。明治24年か…まだ日本の医療の方が不安ですかね。

イオラニ宮殿の音声案内(画面は幽閉時のリリウオカラニ女王)

イオラニ宮殿の音声案内(画面は幽閉時のリリウオカラニ女王)

白人たちによる暫定政府を樹立

そしてついに最後の王様、正確にはカラカウアの妹であるリリウオカラニ女王の時代になります。もともと国を空けて旅するカラカウアに代わり政治を行なってきていたリリウオカラニは、ハワイの財政再建に取り組みます。やろうとしていたことは、ハワイの一般市民の生活のためでした。これに危機感を抱いた金持ちの白人たちは、なんとクーデターを起こします。これにはアメリカの駐ハワイ公使や、果物で有名なドールカンパニーの創業者の甥(私はこの人が一番悪いと思うんだが。当時は裁判官してたんだよ)が関わり、なんとアメリカ海兵隊を呼び、上陸させました。そして女王を軟禁し、暫定政府を樹立するのです。

現在のイオラニ宮殿

現在のイオラニ宮殿

ここでハワイ王国は終焉

王側の人たちは日本に条約締結と援軍を頼みます。クーデターの半年後には東郷平八郎率いる巡洋艦を派遣し、ホノルルの軍港に停泊、同じく停泊中のアメリカの軍艦と対峙し、アメリカ併合を迫るクーデター派を牽制したものと思われます。半年近くも停泊は続きましたが、天皇陛下のご成婚や朝鮮半島の事件などもあったのか、日本艦は帰還、その後ドール(悪いやつ!)は、ハワイ共和国を宣言して大統領となりました。ハワイ共和国に対して王政派は武装蜂起などをしましたが、すぐに鎮圧・虐殺され、この責任をリリウオカラニに押し付け、ついには逮捕・幽閉してしまうのです。その幽閉場所がイオラニ宮殿で、逮捕された200人ほどの命と引き換えに、王女を廃位するとの署名をさせられてしまいました。正確には、この日(1895年1月22日)がハワイ王国がなくなった日となりますかね。当時、アメリカはスペインと戦争間近で、太平洋に補給基地が必要でした。のちにすぐにグアムもフィリピンもアメリカ領となります。

イオラニ宮殿の内部

イオラニ宮殿の内部

併合後も準州にとどまるハワイ

この時日本は、ふたたび軍艦を派遣してアメリカがハワイを併合することに反対の意を唱えました。日本からの移民がたくさんいましたし、その権利を侵害しているという名目で抗議をしたようです。これに対してアメリカは賠償金を払い、その翌年、正式にハワイを併合するのです。時の大統領は、前年大統領となったばかりのウィリアム・マッキンリー(クーデターを支援した時の大統領はクリーブランド〔民主党〕ですけどね)。共和党の大統領で2期目の途中で暗殺された人です。
併合されても大統領を選出する選挙権もなく、ハワイで作った法律でさえも本土から廃案にされる可能性のある準州に止まり、州に昇格するのは1959(昭和34)年8月21日になってからのことでした。

イオラニ宮殿の内部

イオラニ宮殿の内部

王宮から略奪した兵士たち

マッキンリーが共和党だったせいでもないでしょうが、ハワイはまったくの民主党の地盤です。1993年クリントン大統領は、このハワイの併合の仕方は違法だった──という謝罪決議に署名しました。ハワイ併合(正確にはドールがクーデターを起こし王女を軟禁した日)から100年目の年にです。
イオラニ宮殿は、クーデターの際、なだれ込んできた米兵たちに宮殿内のほとんどのものを略奪されました。それらの品々を、今でも探し求め世界中から回収しています。悲しいことに王様の金のbedは今でも見つかっていません。

イオラニ宮殿の内部

イオラニ宮殿の内部

真珠湾攻撃で残る見事な写真

面白い話があります。日本が真珠湾を攻撃しアメリカを第二次世界大戦へ巻き込んだ時の写真を見たアメリカ人の子どもが、「先生、どうして奇襲攻撃されたのに、こんなベストポジションに位置した写真が残っているのですか?」先生は何も答えられなかったそうです。
今のように誰でもスマホで写真が撮れる時代とは違い、記録写真として残すには、撮ることも大事ですがフィルムの保存や移送も必要で、奇襲攻撃のさなか、報道カメラマンがスタンばっていたことを意味しています。

イオラニ宮殿の兵舎

イオラニ宮殿の兵舎

ハワイ王国は、明治政府が対等な条約を結んだ2つ目の国でした(一つ目はメキシコ)。
そして世界戦争中、ハワイはアメリカの準州であり、多くの日系人もアメリカ兵として犠牲となっています。アメリカ本土では、ハワイを自国と同等には見てはいなかったことでしょう。太平洋の真ん中でゆったりと暮らしていた島国は、押し寄せる白人たちの価値観に翻弄されてきました。その象徴的な日が8月12日です。

大統領に告ぐ 硫黄島からルーズベルトに与ふる書
門田隆将 ・著

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