お盆前には公開したいと思いながら、結局今日になってしまいました。
私はこの夏、青森県のむつ半島にある恐山菩提寺に行ってきました。この世で一番、地獄と極楽に近い場所と言われていて、地元で伝わる「人は死ねばお山(恐山)に行く」というものが全国へと広まったことで、多くの人たちが死者に会うために訪れる場所でもあります。イタコ(巫女)の口寄せと呼ばれる、死者のメッセージを口伝する人たちがいることでも知られています。
仏の座る蓮華台が境内に
ちなみに、恐山と言っても、山ではなくカルデラ湖の宇曽利(うそり)湖の湖畔にお寺はあり、この湖を山々が囲むように連なっている場所です。日本三大霊場ともされていて、他は最澄が開いた延暦寺のある比叡山と、弘法大師・空海の開いた高野山で、恐山は慈覚大師・円仁(3代天台座主)によって開かれました。宇曽利湖を囲むように8つの山が囲む様子から、仏の座る蓮華台(八葉)そのものが恐山であるとも言われています。
慈覚大師・円仁が苦労して探し当てた場所
この場所は、862年に円仁が夢のお告げからこの地を探し当てお寺を開いたところです。円仁が座ってこの場所を眺めた石が今も残っていて、私も腰掛けて湖を眺めてみました。死んだらこの場所に埋葬してほしいなぁ、という気持ちはわかるような気がします。とてもすばらしい景色が広がり、たぶん休火山のために噴き上がる硫黄が、身も骨もすぐに消し去ってくれそうな勢いですから。死ねば何者も土に戻される、まさにその通りだと思いました。ですが、湖にそって広がる草木は青々としていて、時折野生の猿たちが顔を覗かせるなど、まさに生と死が隣接している土地なのだと実感できます。
円仁は、現・栃木県で生まれ9歳で仏門に入り、東北地方への布教活動を行なったのち唐に渡りました。円仁が唐にいたころは治安も悪化、仏教弾圧も激しくなっていて、帰国は絶望視されていたほどでした。円仁が創建したとされるお寺は関東・東北に500以上もあり、東京の目黒不動尊、山形の山寺(立石寺)、平泉中尊寺などがあげられます。
広い境内、歩いてだいたい1時間
円仁が名付けたわけでもないでしょうが、恐山には三途の川や血の池地獄、無間地獄、地獄谷、賽の河原といった荒涼として殺伐とした景色が続くほか、極楽浜や太鼓橋といった、美しい景色も見ることができます。私の参拝した日は、雲一つない晴天で、まるで極楽のような日でした。
恐山の本尊は地蔵菩薩、奥の院とされる地蔵殿の裏山には不動明王が祀られています。
境内は、かなり広く、くまなく回れば私の足で1時間ほどかかりました。ツアーバスで来られた方々は急足で、何箇所かを回ったようでしたが、遠くに団体さんがいるなぁ、と思ったらすぐに岩場に隠れて見えなくなり、あっという間に帰られてしまったようです。この地はツアーで来るのはもったいないような気がします。極楽と地獄、三途の川など十分に見学するのがよいかと思います。将来、あの世で迷子にならないように…。
三途の川にかかる太鼓橋でカラスに遭遇
まず、恐山への入口に太鼓橋があります。三途の川を渡る橋ですね。
三途の川は、硫黄の成分が強く普通の生物は生きられないのですが、それでもしっかり環境に対応し生きている魚がいるのです。しかもそれを食べて生きているカラスも!生き物とは逞しいものです。
この太鼓橋のそばに奪衣婆と懸衣翁の像があります。三途の川とこの2人の話は、以前こちらでしましたので興味がありましたらご覧ください。この2人の働きによって、その後閻魔大王の前で極楽行きか地獄行きかの裁きを受けることになります。
境内の温泉に長居は禁物
総門脇には、六地蔵(この話もこちらでしています)が鎮座し、山門、地蔵殿まではまっすぐの参道がつながっています。ここまでは普通のお寺のようですが、山門手前の左手に本堂があり、現在の宗派である曹洞宗の本尊である釈迦如来が安置されています。そして、休火山の中にある境内だからこその温泉施設が4つもあります(それぞれ「古滝の湯」「冷抜の湯」「薬師の湯」「花染の湯」と名付けられています)。真夏の昼間で暑かったのですが、私も女性用の2つの湯で足湯だけをと思い入ったところ、熱いのなんの!いやいや。これは次は着替えを持ってゆっくり浸かるとよいかなぁと振り返ると、注意書きに「換気をよくして」「十分程度まで」と書いてあるのを見て、強力な硫黄泉であることを痛いほど理解しました。
(画鋲が溶けてなくなってるし…)
湖の名前が霊場の名へと
慈覚大師堂から座禅石、八葉地蔵菩薩蔵、血の池地獄などをめぐって極楽浜へ出ると涼しい風と美しい景色が目の前いっぱいに広がります。この場所に東日本大震災の供養塔が建てられていました。東北地方にとって、かの災害は何をおいても憂うべきものだったでしょう。今でも供養塔の前で、幼い子とともに祈りを捧げている人たちと出会いました。ここに来れば、死者と会えるというのはこの地の人たちにとっては事実なのかもしれませんね。
ちなみに湖の名である宇曽利とは、入江を意味する東北の言葉だとうです。「うそり」が変化して「おそれ」になったとも言われています。
恐山は5月から10月までの6か月しか参拝することはできません。7月の「恐山大祭」と10月の「恐山秋詣り」には、多くの人たちが訪れると言われますが、私の参拝した夏の平日でもかなり多くの人たちと出会いました、海外からの観光客も含めて。
加えて、お線香や風車を携えて来られている方々も多く見かけました。そういった心の平穏を求めて来られる方もおられる場所です。他の神社仏閣以上に、自身の行動に気を付ける必要がある霊場なのかもしれません。