稀代の仏師・円空、実は江戸時代の修験僧、今年は没後330年

千光寺の三十三観音像 仏像
千光寺の三十三観音像
両面宿儺像アップ

両面宿儺像アップ

気がつくのが遅くなり、会期末ギリギリのタイミングで日本橋の三井記念美術館 で開催されていた「円空仏」展に行ってきました。
円空というお坊さまが、日本各地を旅しながら12万体とも言われる数を彫られた木彫りの仏像が「円空仏」と呼ばれてるものです。正直、芸術的な「巧さ」や写実性があるかと言われれば、「ない」というしかないものですが、それがなんとも温かみのある仏さまに見えるのが不思議なのです。

護法立神像(千光寺像)

護法立神像(千光寺像)

円空仏の微笑みは憤怒相にさえたたえ

円空仏の特徴としては、どんな仏さまでも笑顔であるという点が挙げられます。顔の部分がはっきりしないものでさえ「笑ってる」のです。それは不動明王でも、烏天狗でも同じで笑っているのです。
円空は、訪れた土地の木々を使い、手数を施さずに作造しました。そのため、背面はまるで薪をわったままのような姿で、表もノミ跡が残り、木の節もそのまま、表面にも何も塗られていません。床に置いてあれば、子どもの作りかけの宿題かと見紛うほどの様相をしています。
そんな作りの仏さまでありながら、笑っているのがしっかりとわかるのです。今では一部が剥がれ落ちてしまい、仏の顔がどのようなものかもわからなくなってしまっている仏像でさえ、笑っていることは何故だか見て取れます。

飛騨千光寺山門

飛騨千光寺山門

円空仏と子どものお遊び、見分けられる?

円空の生きた時代は、江戸の初期で徳川家光から綱吉の頃で、江戸時代としては泰平の世の中、好景気の最中だったと言える時代です。円空が没したのが1695年ですから、この後から日本は未曾有の天災に悩まされる時代へと突入します。飢饉、大火、浅間山や富士山の噴火、地震など15年ほどの間に受けた被害は甚大でした。この頃、笑顔を振りまく仏さまに日本人の多くが惹きつけられたことは間違いないでしょう。
一方で、12万体も彫ったとされる仏像のうち、現存するのは5千超体ほどですから、「笑ってる場合か」と反発を覚えた人もいたのかもしれません。もちろん、何の手立てもしていない白木の仏像ですから、時間と共に朽ちてしまったものも多くあったでしょうし、頻発する火事で焼失してしまったりもしたことでしょう。何しろ、ぱっと見、子どものお遊びにしかみえないものも多いですから。

下呂温泉合掌村「円空館」

下呂温泉合掌村「円空館」

現在残るは5300体余、そのうち5千弱が中部地方に

円空仏の大半の3000体以上が愛知県、そのうちの1900体が名古屋市にあると言われます。円空の生国ははっきりしない部分もありますが、生没ともに美濃国(岐阜県南部)だとすると、美濃と隣接地であるにしても尾張国にパトロンなどがいたのかもしれません。
円空仏は、北海道から奈良県まで存在しますが、その多くは美濃・尾張に集中しています。
名古屋市博物館に所蔵されている3体はいずれも個人所蔵だったもので、他の多くも今でも寺・個人の所蔵であることが、円空仏の不思議な魅力を説明しているような気がします。
下呂温泉にある「円空館」からは、今回の「円空仏」展にかなりの数が出展されていましたが、下呂市にあるほとんどが個人所蔵(多くはお寺さんや神社の神職の持仏と思われます)で、「飛騨高山まちの博物館」からも数十点の出展がありました。

展示された両面宿儺像

展示された両面宿儺像

千光寺といえば両面宿儺像

さて、今回のメインはなんと言っても「飛騨千光寺」から借り受けた本尊「両面宿儺(りょうめんすくな)」像(トップ画像)だったのではないでしょうか。
両面宿儺は、日本書紀などにも登場する4世紀に活躍した人物です。といっても、日本書紀では鬼神として扱われ、討伐された凶賊とされていますが、飛騨地方においては、地元の有力な豪族として扱われています。
「飛騨千光寺」の開基が両面宿儺と言われていて、その姿を円空が彫った仏像が今も千光寺に残り、全部で64体の円空仏を所蔵しています。千光寺から20体以上の円空仏が、日本橋にやってきていたのです。飛騨の冬季休館時に東京で展覧されていたのですが、鬼神と言われた両面宿儺の顔のやさしいことと言ったら!「千光寺」を未だ参拝したことはないのですが、近いうちには訪れたいと思っています。

「中井出世不動堂」

「中井出世不動堂」

東京に残るわずか1体の円空仏

そんな円空仏が、東京に1体だけ存在します。
中落合にある「中井出世不動尊像」がそれで、毎月不動明王の縁日である28日だけ(午後の2時間だけ)ご開帳されます。この「中井出世不動堂」は地元有志の方々によって運営されているものですから、参拝される際には、きちんとした礼儀と行動でお参りしてください。
台座の銘文によれば、尾張国一宮の真清田神社の別当寺・般若院に安置されていたものが、江戸時代後期に江戸へ渡り、台座と光背などもこの時に施されようです。江戸の不動院で奉安されていましたが、明治維新で廃寺となったため、不動堂を建立し「円空作中井出世不動尊保存講」に管理されているとのこと。すばらしいの一言です。
私も1度だけ拝顔させていただきましたが、高さ128センチというサイズは、他の円空仏に比べて大きい方で、不動明王の眷属・矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制咤迦童子(せいたかどうじ)の3体(しかも不動明王の光背が色付き!)という、とても手の込んだ(?)仏さまとなっています。
東京で拝顔できる機会の一番少ない円空仏。今年は円空没後330年ということで、JR東海では「円空のあしあと」というツアーも開催されています。

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