2023年、令和5年もそろそろ半年が過ぎようとしています。世界中が目まぐるしく動き、時の流れが早すぎて何が起きているのか知ることすら覚束ない日々が続いているような気がします。5月も半ばすぎにとなった今頃、「卯年」がらみの話も時期外れな気もするのですが、なんとなく日本中で木が切られまくっている今、ご紹介しておいた方がよいかなぁ、と紀伊国一宮である「伊太祁曽(いたきそ)神社」を思い出した次第です。
紀伊国とは木の国の意味
紀伊国とは、現在のほぼ和歌山県と三重県の一部を指しますが、徳川幕府8代将軍・吉宗の出身地として特に有名ですね。多雨のために木が多い土地柄であったことから、元々は「木国」と呼ばれていたほどで、のちの時代に紀伊国と表記するようになったのだとか。歴史を遡れば、神武天皇が大和へ入る道筋として紀伊熊野が登場しますし、平安時代に天皇の熊野御幸は各種の文献で取り上げられるほど知られた話です。
そんな国の一宮の主祭神が木の神さま・五十猛命(いたけるのみこと)であることは、何ら不思議ではありません。東京でこの神さまが祀られている社を探すのは大変で、「青山熊野神社」と「紀州神社」のみ。どちらも紀州徳川つながりの神社なので、五十猛命を特に意識して祀ったわけではないでしょう。
有功神である五十猛命
五十猛命とは、スサノオ(アマテラスの弟神)の息子で、高天原を追放されたスサノオとともに地上に降り、天上から持ってきた樹木の種を日本中に植えた神さまです。出雲の国に上陸した神は、九州から植樹を始められ最後に紀伊国に住んだとされていています。
伊太祁曽神社には、五十猛命と共に妹神の大屋津姫命(おおやつひめのみこと)と都麻津姫命(つまつひめのみこと)が祀られています。この2柱とともに、日本を「青山」となるほど木を植えまくったという話が日本書紀などに登場します。この効から「有功(いさおし)神」として、紀伊国に祀られることになったと社伝にあります。
オオクニヌシをも助けた神
このような逸話から、木の神として3柱は崇められていますが、特に材木・林業、あるいは木の種の方にご利益が厚いとされています。他にも船で渡ってきたことから、造船・航海安全、また、大国主を助けた逸話から、厄除け・悪疫退散などの幸運への転運の益でも知られています。この話をもとに、倒れてしまった御神木を活用した「木の俣くぐり」が拝殿脇に作られていました。
あちこちで伐採が行われ始めている東京では、是非お祀りしたほうがよい神さまかもしれません。知事室の正前あたりではどうでしょうか。
地面を叩いて悪鬼を祓った祭祀が元に
伊太祁曽神社には「卯杖祭」という祭祀が残されています。古来、宮中でも行われていたものですが、今ではこの名が残されているのはここだけなのではないでしょうか?
そもそも「卯杖」というのは、邪気を払う道具のひとつで、正月(1月)の上の卯日に地面を叩いて悪鬼を祓っていました。梅・桃・椿といった材料を五尺三寸(約1.6メートル)に切り揃えて、5色の糸が巻かれて貴族同士の間でも贈答しあってもいたのです。やがて、寺社で縁起物として参拝者へ配られるようにもなりましたが、いつしか色々な形に変わっていったのではないかと言われています。木でできた縁起物はいろいろありますね。たとえば、天神さまでいただける「鷽(うそ)替え」の木でできたお守り、「蘇民将来符」、「卯槌」などなど。
父・スサノオを祀る祇園社も
伊太祁曽神社の卯杖祭も、「卯杖の儀」「粥占い」「小豆粥」という3つの風習が合わさり続いてきた祭事で、今年の農作物の豊凶を占った後邪気祓いの儀式が行われます。正月の行事として今年も行われました。
そうそう、祓い・禊ぎと言えば、五十猛命の父・スサノオのイメージが強いですね。伊太祁曽神社にもスサノオを祀る「祇園社」があり、コロナウィルス除けとして「蘇民将来之子孫札」が無料で頒布されていました。もちろん、茅の輪も(関東では6月30日のイメージが強いですが)、7月30・31日に茅輪祭が設定されています。これはやはり京都・八坂神社の祇園祭が7月のお祭りというイメージがあるからかもしれませんね。
五十猛命が祀られている社は日本中に約300社あると言われますが、東京にはたった2社だけです。神奈川の杉山神社や静岡の来宮神社などは有名ですが、やはりそこは他県ですし。木がなければ、水も生まれず、火も焚けず、雨風をしのぐことは難しいものです。もしかしたら、国土の根幹は木であり森なのかもしれません。日本人は忘れてはいけない人をすぐに忘れてしまう民族のようです。いえ、五十猛命のことですよ、日本を豊かにしてくれた恩を忘れてはいけませんよね、今年はいろいろな事が起こると言われる卯年です。