曹洞宗を考えてみる─能登地震に寄せて

時事ニュース
平成26年に修復を終えたばかりの法堂(大祖堂)

平成26年に修復を終えたばかりの法堂(大祖堂)

令和6年、あけましておめでとうございます。
ずいぶん遅い新年の挨拶ではございますが。
2024年の幕開けはずいぶん波乱に満ちたものでした。能登半島地震に始まり、羽田空港の事故、政治の世界は混沌とし続け、世界の戦渦は広がるばかり。もしかしたら、実は「この世」が「地獄」だったりするのではないかと疑念が湧くほどです。私の故郷の商店街も、昨年に続き焼け落ちました。子どものころ、母に連れられ生鮮食品を買いに、少し遠出して出向いていた思い出の場所でした。

被災を報じる文化時報社のページ

被災を報じる文化時報社のページ

能登の祖院が大被害に

その中で、曹洞宗の總持寺祖院が崩れ落ちたとのニュースがありました(能登では100カ寺が被害に遭われたそうです)。たしか、数年前にも同様の被害(現在よりも多少はマシだったようですが)があったように思います。
曹洞宗の祖院がどのようなものなのか、今回はちょっとまとめてみようかと思います。

永平寺山門

永平寺山門

曹洞宗の大本山は、福井にある永平寺と横浜の總持寺と2箇所になります。簡単に説明すると、曹洞宗は鎌倉時代から日本に広まった仏教宗派で、祖は道元です。道元は比叡山で修行をし、中国に渡り4年ほど高僧から教えを受けています。帰国後、京都に興聖寺を開きますが、比叡山から弾圧を受けたことから、招かれた越前国に大佛寺というお寺を開き移住しました。その後、寺名を永平寺と改め現在に至ります。
道元というお坊さまは、自分の会得した仏教を「正伝の仏法」として、宗派を名乗ることをせず、また弟子たちにも名乗ることを禁止していたといいます。
今では曹洞宗と呼ぶこの教えは、日本に伝来したのは鎌倉時代と遅いものですが、中国では早くから学ばれ伝えられてきた教義でした。道元は、中国禅宗の祖・達磨につながる系譜を持つ高僧であったこともあり、それまでに日本へ伝わっていた仏教の教えにいろいろ疑問を持っていたのでしょう。

京都宇治の興聖寺

京都宇治の興聖寺

大本山は永平寺と總持寺

道元はわずか54歳で入滅します。その後、師の教えを継いだ永平寺4世の瑩山(けいざん)が能登に總持寺を開きます。この頃から、道元の教えは「曹洞宗」と呼ばれるようになりました。この名は、達磨の教えから南宗禅を開いた祖・曹渓慧能(そうけいえのう)と、のちに教えを固めた洞山良价(とうざんりょうかい)の名から1文字ずつとって、「曹洞宗」となったと言われています(別の意見もあるようです)。
道元は「ひたすら坐禅するところに悟りが生まれる」という教えで、これが世界へ広まった「Zen」の教えです。アップルの創始者・スティーブ・ジョブズがZenに傾倒していたことでも有名ですね。

横浜鶴見の總持寺向唐門

横浜鶴見の總持寺向唐門

禅宗にとっての達磨大師

禅宗とは、菩提達磨──私たちがいつも「だるまさん」と呼ぶ姿形のお坊さま──の教えを継ぐ宗派すべてを含みます。中国ではもう少し違う宗派がありますが、日本においては、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗になります。世界へ「Zen」を広めたのは、鎌倉・円覚寺で修行された鈴木大拙という方ですから、臨済宗の教えを広めたということになりましょうか?
禅宗にとって、だるまさんは祖師と呼ばれ、ご本尊の釈迦如来に次いで大事にされています。
言い遅れましたが、曹洞宗のご本尊は釈迦如来だけです。仏教の開祖・お釈迦さまこそが仏法の中心にあるという考え方ですね。

總持寺仏殿

總持寺仏殿

どうして今では鶴見にあるの總持寺

さて、曹洞宗は上記の理由から道元の開いた永平寺と、瑩山の開いた總持寺を大本山として永く大事にしてきました。現在全国で曹洞宗のお寺は1万4千寺ほどありますが、永平寺派と總持寺派として活動、宗務庁はなんと増上寺近くの芝にあります。
ところが、明治31(1615)年、能登の總持寺は火災で焼失、明治38年に復興しますが、明治44年に總持寺として横浜の地に移転しました。能登の總持寺は祖院となり現在に至ります。移転の理由は、交通の便のよい関東に行きたい、という声が多数上がったからだとか。この地には、元々曹洞宗の成願寺というお寺がありました。

鶴見の總持寺には石原裕次郎さんのお墓がある

鶴見の總持寺には石原裕次郎さんのお墓がある

開かれたお寺ばかりの曹洞宗

鎌倉仏教と呼ばれる曹洞宗ですが、日本に古くから根付いていた仏教との兼ね合いから、永く福井・石川県に大本山はありました。明治時代になり、不幸にも火事で焼失した總持寺は横浜・鶴見の地へと移転してきたわけですが、今年の年初に祖院が再び震災で大被害を負っています。
總持寺には付属の学校があります。ここの生徒はお寺の門前で必ずお辞儀をして通り過ぎます。初めてそれを見た時、美しいお辞儀の姿勢に、自らを反省したほどです。また、私の私見ではありますが、曹洞宗のお寺は、他の宗派に比べていろいろ厳しいことを言われることがありません。もちろんお坊さまにとっては厳しい修行の場がお寺なので、きっと私と感じ方は違うことでしょう。
いつもお堂の鍵を開け、自由に仏さまに拝顔できるお寺の中で、それが曹洞宗である確率はかなり高いです。ですが、そんな門戸を広く開けている總持寺の祖院が大きな被害にあってると聞き、とても心苦しい思いです。

延暦寺の境内に残る「道元禅師得度霊跡」

延暦寺の境内に残る「道元禅師得度霊跡」

できれば、みなさま近くの曹洞宗のお寺でいつもより多くのお賽銭をお願いいたします。そうすれば、少しは祖院の復興に役立てるのではないかと思います。現在、祖院のお坊さまは、全員避難生活なのだそうです。粗食・寒さは慣れていらっしゃるでしょうが、仏さまを放っておく生活はさぞや苦しいことでしょう。心中を察するに余りある鈴子です。

タイトルとURLをコピーしました