
数年前、千葉県に引っ越しをしたおかげで、見える空が広くなり、夜、お月さまがよく見える環境になりました。先日の皆既月食も「あ!そうだ!!」と思い立った時にすぐに観測できたりと、まったりと自然と共に過ごせることをありがたく思っています。
都心での生活では、ほんとうに空が狭く感じていましたが、今では広い空を眺め、よく昔の人の生活について考えたりするようになりました。

和同開珎の碑
日本の歴史観は見直されつつある
日本の歴史は、11万年前の旧石器時代まで遡れることが確認されています。1万数千年前から作られていた縄文土器や土偶の時代、水田や青銅器の時代があり、やがて国が形作られてきました。現在残されている最古の文献は古事記(712年)ですから、それ以前を記したものがなく、長いあいだ研究者の好き勝手な言い分で歴史が表現されてきました。ですが科学の発展と共に、古代に作られたと言われていた物品の製作年代などが明らかになり、日本の歴史が各方面から見直されてきています。その多くの証明物が神社仏閣から見つかることも多く、なかなか嬉しい限りです。

三峯神社随神門
関東住みなら一度は体験して「秩父三社めぐり」
そんな中、縄文時代に多くの人が住み、飛鳥時代より前から武蔵国と呼ばれ、神を敬っていた場所はどこだっただろうかと地図をながめて考えてみました。東京を中心とした首都圏をについては、江戸(現在の山手線の内側プラスα程度)の繁栄はわずかな土地と時間だけです。東京湾の海岸付近からは多くの貝塚が発掘されてはいますが、文明として発展した土地かといえば継続の文化がないのです。当然、開発によって破壊されてしまったこともあるでしょうが。
一方、今回ご紹介する「秩父」という場所は、律令制開始以前から「知知夫」とも表記され、国造(くにのみやつこ)が早くに任命された土地でもあるのです。もっと詳しい話は、以前の「橋立堂」の回でしていますので、今回は「秩父三社めぐり」記に徹したいと思います。

三峯神社の日本武尊像
雨の中で、三峯神社に参拝
今回も池袋から特急ラビューに乗り日帰りで三社めぐりをしました。
まずは、私が関東随一のパワースポットだと思っている「三峯神社」へ。下調べをしている最中に三峯の一の鳥居のある道(国道140号)が、7月の土砂崩れで通行止めになっていることを知り、大慌て。この道が通れなければ、三峯に行くには山梨経由で行くしかなくなります。よくよく調べてみるとまだ工事中の大滝トンネルを暫定供用してくれるとのこと! ありがたや! ただ、この近道トンネルを通ると、昔の三峯への入り口が見られなくなっちゃうんですよね、それが少しだけ残念。
また逆に「早く通れるようになるといいなぁ」と横目で見ていた大滝トンネルをいち早く走ることができ、ちょっと嬉しかったのも事実ですが。
当日は、台風上陸の1日前で、三峯神社境内では若干雨に降られました。山門近くのヤマトタケルノミコト像も霞んでよく見えず、奥宮遥拝所からはすぐ下の景色も見えません。まぁ三峯に雨風はつきもので、たっぷりと境内に広がる「気」をもらってきました。眷属のお犬さまを撫でさせていただき、拝殿前に出現した龍像は、雨にしっかり濡れて鮮やかに光って見えました。
今回は、食堂で地元の食材「しいたけ丼」をいただき、「守護せんべい」と「甘酒」を購入して帰りました。あ、一緒に行った友人は「気守り」の4色全部をいただいてました。白はいつか復活するのだろうか?

寳登山神社拝殿
寳登山神社で金の団扇を手に入れてご満悦
続いて、寳登山(ほどさん)神社へ。雨はすっかり上がり、ちょっと蒸し暑くなってきました。さすが寳登山、私、ここで荒天になったことがないです。いつも身軽に参拝できます。この社は拝殿と本殿の外側に施された、有名な彫り物が見られることでも有名です。「二十四孝」(中国の親孝行だった24人の逸話)の場面や、「三國志」で知られる関羽・趙雲の姿もあります。特に有名なのは、本殿の後ろにある鯉と龍。出世祈願にご利益があると言われています。鯉と龍をあしらった「吉祥寶守」をいただくことができます。
寳登山神社は、ヤマトタケルが東征の帰りに、山火事に巻かれて困っていたところをお犬さまに助けられたことから、神武天皇と山と火の神を祀り「火止山(ほどさん)」としたことに始まります。このことから寳登山神社も眷属はお犬さまです。各種災難除けと金運で知られています。
私は、前回参拝時にいただき損ねた「金色の団扇」と「ご眷属お姿神札」をいただいて帰りました。あ、それから売店で地元産の大麦を使った麦茶を買ったのですが、その濃さにぴっくり。日頃スーパーで飲んでいる麦茶って何なの?って感じでした。

秩父神社・夜祭の絵馬
12月の夜祭の神さまが秩父神社の祭神
最後に、秩父駅側の「秩父神社」へ。ここは、西武秩父駅からでも徒歩15分くらい、秩父鉄道の秩父駅からなら徒歩5分もかからないくらいの駅近です。三峯神社も寳登山神社も鮮やかに彫刻された社殿で大変美しいのですが、秩父神社も負けてはいません。加えて、本殿の4面にはそれぞれが神社の顔ともなる、有名な彫刻を見ることができます。まず、正面に「子育ての虎」、東面に「お元気三猿」、北面に「北辰の梟」、西面に「つなぎの龍」。それぞれが、秩父神社のご利益と逸話に深く関わっている動物で、「北辰の梟」は秩父神社の主祭神にもつながる意味を持ちます。
秩父神社は、知知夫国造が、自分の祖神・八意思兼(やごころおもいかね)命を祀り創建したものです。その後、知知夫彦命、天之御中主(あめのみなかぬし)神と秩父宮さまをお祀りしました。
秩父神社の例祭は、毎年12月に行われる「秩父夜祭」で、山車と花火が秩父の街を彩ります。明治時代の神仏分離の影響で、現在は天之御中主神となっていますが、元々は神仏混淆の妙見さまが祀られていました。妙見信仰とは北辰(北極星)信仰で、「夜祭」のテーマであり、「北辰の梟」が意味するものです。
そして、秩父の命というべきものが、「水」でした。これらを大事に守るための神社が、秩父の水源に祀られているのです。

秩父神社拝殿の彫刻・つなぎの龍
水と鉱物に恵まれた土地
秩父には、豊かな水と鉱物がありました。日本最古の貨幣・和同開珎に使われた和銅を産出した場所は秩父で、その近くには「聖神社」という宝くじ当選祈願にご利益のある社があります。また、秩父の象徴・武甲山から湧き出る伏流水に建立された「秩父今宮神社」などがあります。秩父の山々は、洞窟のできやすい石灰岩を多く含みます。このため、鍾乳洞近くには多くの祠も作られてきました。武甲山は日本有数の鉱床で、今でも多くの石灰石が切り出されているのです。
秩父三山
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