鈴子

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時事ニュース

曹洞宗を考えてみる─能登地震に寄せて

その中で、曹洞宗の祖院が崩れ落ちたとのニュースがありました。たしか、数年前にも同様の被害(現在よりも多少はマシだったようですが)があったように思います。 曹洞宗の祖院がどのようなものなのか、今回はちょっとまとめてみようかと思います。
東京のパワスポ

辰年に参ると良い神社仏閣

新暦の上では、明日から新年となります。ですが旧暦上では明日はまだ11月20日であり、旧暦の12月1日は今の暦では1月11日です。 基本的に農耕・漁猟民族の暦は、月が主体でした。朔(ついたち/新月)から始まり、望(ぼう/満月)に収穫などを行うというサイクルが自然の中で生まれました。これは日本のような土地に根付いた民族だけの風習ではなく、海洋民族も月の満ち欠けで季節や海流、移動すべき時期などを知ったといいます。
行事と暦

癸卯から甲辰の年にバトンタッチ

2023(令和5)年も残すところあと2日となりました。昨年末に書いたように「癸卯」は未曾有の発覚の年となりましたね。癸卯の年はいろいろなものが歴史的に「精算され生まれ変わる」年と言われていますが、2023年は、不正や隠蔽など政界や財界の隠し事が噴出した年となりました。歴史の統計というのはなかなか侮れないものですね。
国宝仏

日本が最も混沌としていた時代の話─健武山神社を参拝して

実は、先日ヤマトタケル伝説を追っての道筋で、栃木県の那須方面へ行ってきました。江戸時代、日光のある現在の栃木県のほとんどは幕府領か旗本あるいは小藩が治めていたですが、日光から少し東側へ逸れた一帯は、水戸藩の所領でした。ヤマトタケルに加えて水戸光圀の逸話も各地に残っています。
一宮

霊峰富士の信仰は古墳時代以前から

考えてみれば、日本は古来、自然災害からの被害という面においては、多大な損害を被ってきました。台風・地震・噴火・津波など、記録が残る始まりのころから、天災は日本各地を襲ってきていました。これらの被害を抑えてくれるよう、被害を免れたお礼として、理由はさまざまでしょうが天地の神々を祀った祠を作ってきました。水の神、風の神、土の神、病気の神…、最も多いのが山の神でしょうか。
巡拝

関東一、古来発展した秩父地方

秩父の歴史は確認できるだけでも約1万6000年前に遡れます。旧石器時代の石器が発掘されているほか、その後の縄文時代の石器・土器・遺跡など数多くの発掘がなされている土地です。「ちちぶ」の名は、初期の文献から残されていて古くは「知知夫」と表記され、大和政権の初期から国造(くにのみやつこ/大和政権から地方統治を任されていた首長のこと)がいて、このころから存在していたとされる神社が現在もいくつも残っています。
行事と暦

お彼岸に先祖供養するのは日本人だけ

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、さすがに多少は秋めいてきましたね。まだまだ暑い日が続いてはいますが。 今年の寛永寺・不忍池弁天堂の巳成金はお彼岸の入りの日でした。早い時間は晴れていましたが、夕刻からスコールのような雨が都内をおそい、ニュースになるほどの荒天になりました。さすがに巳の日、しかも巳成金だーと感心したものです。
東京のパワスポ

関東随一のパワスポ・三峯神社は霊山に囲まれた古社

私の中で、関東で随一のパワースポットは秩父にある「三峯神社」です。秩父は律令時代から「武蔵国」の中でも繁栄していたようで、今も残る「秩父観音札所34カ所」の多くは戦国時代以前に建立されたお寺であり、秩父に多くの人たちの生活があったことを示しています。
世界遺産

きっと神々が棲まうに違いない奄美の島々

実は近頃、私は奄美諸島にずっと魅せられています。きっかけは平家の落武者の歴史を追ったことに始まるのですが、知れば知るほど奄美に棲まう人たちの人生観や自然に対する思いのようなものにすっかり感銘を受けてしまったのです。簡単に言えば、神々の棲む島と言っていいような気さえするのですが、この神に魅せられた有名人の一人が、田中一村という画家です。
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