明日は節分です。簡単に説明すると、節分というのは本来、1年には4回あって四季の変わり目(立春・立夏・立秋・立冬)を指す言葉でした。いつしか、それが立春の前日だけを指すようになったのです(たぶんこれは豆まきと関係してますかね)。これから30年くらいは2月3日の日が多いですが、毎年決まった日になるわけではありません。これは太陽の動きと関係している「二十四節気」という暦のようなものに基づいているからです。
節分って何?
2024年の節分は、なんだかネット界隈はじめ、いろんな所で「◯◯年に一度の大転換期になる!」など公言する人が多くて、どうやら星回りとしては大きな移り変わりの季節がやってきたようです。失われた30年どころか、江戸時代から続いた流れが変わると言っている人もいて、「ほんとか?!」と思うものも多いですが、とにかく節分というのは、そういう節目であることは間違いありません。
ですから、逆に良いことばかりでなく、「魔」も入りやすい時であり、誘惑に弱い人間などは「鬼」とよばれる邪気を払うために、豆まきをするのですね。
中国で生まれた節分
節分祭というのは、日本全国の神社仏閣でも行われています。NHKの大河ドラマの主演役者が豆まきすることで有名な「成田山新勝寺」をはじめとして、「浅草寺」、「八坂神社」、「平安神宮」、「日吉神社」、「中尊寺」などでも、各社それぞれ個性的な催事が行われています。
暦の話をする際、「日本はどうして新暦の正月を祝うのだ」とか「干支は旧暦でかわるのだ」などと、特にアジア圏では今でも旧暦の正月を大事にしているせいか、疑問を投げかけられることが多いですよね。ですが、古来伝わる「二十四節気」という1年を24に分けて考えるという中国で生まれた考え方に由来する節分という行事は、世界中どこにも残っていません。
陰が極まった日を払う
つまり、日本人にとって節分=立春という日が、物事の始まり、陰が極まり陽が生じる日であるという認識が知らず知らずのうちに染み付いているということなのかもしれません。これを「一陽来復」と言います。この言葉も中国の「易経」という書物に書かれていますが、たぶん日本で一番使われている言葉なのではないでしょうか。
何しろ、「一陽来復」のお守りが存在するからです。「一陽来復」の詳細については、こちらの記事で紹介していますので、詳しくお知りになりたい方はどうぞ。
節分までのお守り「一陽来復守」
「一陽来復」守りの始まりは、江戸時代で、現在も早稲田の「穴八幡宮」で冬至から節分までの間だけの期間限定守りとして授与されています。このお守りは、方角とお守りを貼る位置が決められていて、当年の恵方に向けて、冬至、大晦日、節分のいずれかの深夜0時に行わなければなりません。今は、金運の守りとして名高いため、日本全国から商売関連に受けられる方が多いように思います。
節分ならではの方角・時間も大事
江戸時代まで、「穴八幡宮」の別当寺であった「放生寺」でも「一陽来福」(「ふく」の字が違う別もの)守りが受けられます。元々ひとつの社だったわけですから、神社とお寺、2社からいただいたお守りで「表裏参り」とされる方もいるようで、これを始めると止めることができなくなるのではないかと危惧もしますが、ますます、2社へのお参りは盛んになっているようです。
特に、2024年の節分は、大きな節目と言われているためか、例年以上の参拝者が押し寄せているようですね。
ちなみに、昨今では「一陽来復守」はいろんな寺社で散見できるようになりました。
豆まきはなぜするの?
さて、節分の行事といえばやはり「豆まき」。これは平安時代の宮廷で行われていた「追儺(ついな)」と呼ばれる大晦日の行事が元になっています。今でも平安神宮の節分祭では、この「追儺」が古式ゆかしく行われています。
大晦日の行事が節分(立春の前日)に行われていることからも、日本人にとって立春が新しい年の始まりと認識していたことがよくわかります。
豆をまく理由の一番は、その音にあります。「まめ」は「魔滅」に通じる、また、小豆の「赤」が魔を払うという理由から、好まれているのです。
節分には「鬼は外、福は内」が一般的な掛け声と思われがちですが、「鬼は外」は言わない寺社や「鬼は内」と呼び込むところもあります。鬼にもいろいろありますし、鬼を祀る寺社もありますから、その土地、その社の個性豊かな節分祭を楽しんでみてはいかがでしょうか。
2024年の節分は、記念すべき転換点になるのか。そうだとしたら、私たちは歴史的な目撃者となるのかもしれませんね。