6年ぶりとなった天下祭・山王祭が今週末に開催

時事ニュース
日枝神社の鳥居(山王鳥居)は独特の形をしている

日枝神社の鳥居(山王鳥居)は独特の形をしている

コロナ禍はいろんな所で日本人の慣習や行いを制限してきました。コロナ禍というか、それに踊らされた人たちによって、というべきでしょうか。日本の伝統的なお祭りもいくつも中止されたり延期されたりで、昨年からずいぶん「◯◯年ぶり」という冠ことばと共に、復活したお祭りがいくつもありました。お祭りというものの起源を考えると、疫病によって中止になるというのは本末転倒な話であり、疫病退散のために氏子の住む町内を神さまが御渡りして清める行為が忌み嫌われることになろうとは、長い歴史の中での汚点として刻まれることでしょう。もしかしたら、将来、教科書に載るくらいの項目になるやもしれません。

深川祭は別名水かけまつりとも

深川祭は別名水かけまつりとも

江戸三大祭も無事に開催

5月から夏場に向けて各地で有名なお祭りが行われます。京都の祭はニュースにも取り上げられるくらいですが、東京でも多くの人を集めるお祭りがこのところ毎週末どこかしらで開催されています。
中でも、神田明神の「神田祭」、日枝神社の「山王祭」、富岡八幡宮の「深川八幡祭」は、江戸三大祭と呼ばれ、盛大に開催されてきました。深川八幡祭は8月のお盆の頃ですから少し時期がずれていますし、鳳輦(ほうれん)渡御のある神幸祭(大祭)は3年に一度で、昨年(令和5年)に行われました。1回分飛んでしまったので6年ぶりのお祭りとなり、30万人もの人出があったと言います。

神田祭の最後、宮入りは担ぐ人と観る人で大混雑

神田祭の最後、宮入りは担ぐ人と観る人で大混雑

令和5年は、神田祭と深川祭が

そして「神田祭」と「山王祭」は、別名「天下祭り」とも呼ばれ、将軍の住む江戸城への入場が許されていたほどの規模と品格のあるお祭りとして知られてきました。この2つの神社の氏子が一部重なっていたこともあって、毎年、両方のお祭りを盛大に開催するのは大変だったため、やがて交互に大祭が行われるようになりました。つまり2年に一度、「神田祭」と「山王祭」は大祭が行われているのです。
昨年、令和5年は「神田祭」が大祭を行いました。こちらも1回大祭が中止されてしまったため、4年ぶりのお祭りとなりましたが大小200もの神輿が町内を練り歩きました。

車道の端を練り歩く

車道の端を練り歩く

平日開催の天下祭

今年、令和6年は交代に「山王祭」の年となります。こちらは2回中止となったため、なんと6年ぶりのお祭りが今週、6月7日に行われます。つまり令和になって初めてとなるわけですね。
「山王祭」は東京都内、皇居の周りを300メートルにもなる神幸行列が渡り歩きます。深川祭や神田祭などのお神輿渡御が躍動的で力強い一方で、こちらの行列は雅で静々としています。平安絵巻に出てくる衣装をまとった氏子衆たちの姿が、お堀そばや銀座、日本橋界隈に長く連なるのです。しかも、平日の都内に車も止めず(もちろん交通規制はありますが)、謙虚に道の端をしずかに進んでいくのですから、とにかく道行く人たちの目をひきます。当日(御幸祭)の巡行路はこちらから

神社で出立を待つ鳳輦

神社で出立を待つ鳳輦

全行程はなんと23キロ、1日に掛かりの渡御

私は、毎回行列を追ってあちこち動き回っていますが、今年はいつになく涼しくなりそうな天気予報で、行列のみなさんも少しは暑さをしのげるかもしれませんね。ほんと、みなさん昔ながらの衣装を身につけて、千代田区、新宿区、中央区、港区と全行程23キロも渡り歩くのですから。赤坂の日枝神社を朝7:45に出発、戻りは17:00という行程、身軽に走り回っている私でさえ、半日でヘトヘトになる中、他のお祭りに比べて、実は最もハードなのではないかと思っています。(もちろん、何か所でも休憩はされますよ)

銀座4丁目交差点を渡る

銀座4丁目交差点を渡る

銀座の交差点を横切る山車

山王祭はお神輿ではなく、雅な山車が氏子町を渡御します。
見どころは、何か所もありますが一番有名なのは、銀座四丁目交差点でしょうか。この場所はほぼ、終わりに近くみなさんかなりお疲れです。
私のオススメは、やはりお堀そばの国立劇場へ一旦入る前、そして出てくるところかなと思います。街中もよいですが、広い内堀通りの道路を行列が横切る際、遮るものが何もないところを通り過ぎる姿は気持ちがとてもよいですから。

お堀端の車道を横切る

お堀端の車道を横切る

東京には、古くからあるお祭りも数多く残りますが、やはり江戸時代の泰平の時代があったからこその今かもしれません。
山王祭の起源もはっきりはしませんが、戦国時代の記録が定かではなく、徳川将軍時代に上覧を許されたという格式が祭の品格を保っているのかもしれません。とはいえ、明治維新や東京大空襲の時代には、苦難の時代もありました。
お祭りが盛大に開催できることは、ある意味、平和と心の豊かさの象徴なのかもしれませんね。

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