令和7年1月29日は旧正月です。つまり、旧暦で言えば新年を迎えました。旧暦はお月さまの形で暦をはかっていましたから、1日(ついたち)は朔(ついたち)とも書き、つまり朔(さく)、新月になります。逆に満月は望(ぼう)と言い、15日にあたります。ということで今日は新年を迎える初めての新月、古代中国ではこの朔の前に新しい政策(政令)などを通達していたのだそうです。しっかりしてますなぁ。
実は、私、年の瀬にインフルエンザに罹ってしまい、熱に浮かされながら作った年賀状に「2025年/令和6年」と書くという失態をやらかし、それに気が付かず投函したあと「あ!」と気づくという年初から大ポカをしでかしてしまいました…。みなさま、ごめんなさい。縁起悪いですよね、こういうのって。
ほんと気をつけなさいよ、私。
日本の根幹をなす神さまとは?
さて、新年最初のこととして考えてみたのですが、日本の根幹をなす神さまとはどなたでしょう。
アマテラス?(伊勢神宮の神さま)
オオクニヌシ?(出雲大社の神さま)
国之常立神(くにのとこたち)?(古事記で最初の神とされている)
日本には八百万もの神さまがおられて、一言では言い切れませんね?
それでも、やはり日本を作った神さまならば言えるのではないでしょうか? それがイザナギ・イザナミの2柱だと思うのです。神さまの1柱でもあるヤマトタケルノミコトが遠征した各地でお社を作り祀っていたのが、この2柱です。
上記の絵からわかるように─Wikipediaにも同じようなものが出てきますが─2柱は「国産み」、そして「神産み」の神として知られる存在なのです。
古事記によれば、天沼矛(あめのぬぼこ)で混沌とした地上をかき混ぜ、この矛からしたたり落ちたものが最初の島・淤能碁呂島(おのごろじま)となり、続いて「大八島」と呼ばれた島々を次々と生み出したとされています。
国を産み、神々を産んだイザナギとイザナミ
最初が淡路島、次いで四国が、その後隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島。最後に本州が生まれます。
イザナギ・イザナミはその後、多くの神々の父神・母神となりますが、神産みについての詳しい話は省きます。なかなか、文献やまとめを読んでもちょっと理解しにくいのですが、興味のある方は是非! その最後の方に誕生したのが、アマテラスやスサノオ、ツクヨミ(正確には3柱はイザナギから)などの神々となります。
このような神話から、イザナギ・イザナミは、各地の大きな神社ではよく祀られている神さまです。2柱のご利益は、やはり多くの国や神を産んでいることから、縁結び・子授けの神として知られ、永く各地で信仰を集めてきました。
各地の大社で祀られる2柱
イザナギ・イザナミを祀る神社は多いですから、どの地元でもちょっと歩けば祀られている社を探すことは可能でしょう。特にスサノオ、ヤマトタケルといった神さまが主祭神の社には、イザナギ・イザナミは必ず祀られているといってもいいかもしれません。アマテラスは天皇家と直接のつながりがありますから(現在の天皇家はアマテラスの子孫。ということはイザナギ・イザナミの子孫でもあるのでしょうがそこは何故か遡るのはアマテラスまで)、同様にというわけにはいかないのかもしれないですが。
淡路島とは、どんな島?
ですが、やはり一番は淤能碁呂島にある神社に行くべし!と張り切って年末も近い12月に、私は淡路島へと出かけたのでした!
淡路島とは、瀬戸内海に浮かぶ島の中で一番大きく、2本の大橋によって本州と四国が結ばれ、大都市圏へのアクセスは大変便利な島です。実際、私は神戸空港から淡路島へ入り、滞在途中には短時間ですが四国へ渡りました。
30年前となる1995年1月17日、大災害となった阪神・淡路大震災の震源地は、神戸と結ぶ明石海峡大橋の真下、明石海峡だったとされています。そんな淡路島に地震があったことから、「神々の怒り」という言葉もちらほら聞かれました。日本では、政治が酷くない時期はほぼありませんが、ものすごく酷い時には大災害が起こるというジンクスがあります。これは、平安時代の文献あたりから記録されている事柄ですが、災害大国の日本では、何かしらが当てはまってしまうのかもしれませんね。まぁ、この時も政府の対応が酷かったせいで、被害が甚大になったのではないか、とも言われていますが。
まずは沼島へGO!
そんな淡路島の南側に小さな島があります。2柱が建てた「天の御柱」ではないか、と考えられている上立神岩(かみたてがみいわ)があり、沼島(ぬしま)と呼ばれています。天の御柱とは、イザナギ・イザナミが、淤能碁呂島に降り立ち、周囲を回って婚姻を行ったという伝説のある岩です。海につき出た奇岩は、竜宮城の表門ではないかとも言われてきました。
沼島には、2柱を祀る「自凝神社」があります。神社の名前、読めませんねー? 「おのころ神社」と読みます。「自らかたまった」と書いて「おのころ」。
淡路島は、離島として日本第11位の面積だというのに、沼島にもおのころ山と石仏山というかなり高い山が2つもあります。このおのころ山をご神体として作られた神社が「自凝神社」で、イザナギ・イザナミの作った淤能碁呂島がどこか、という説はいろいろありますが、ここ沼島説が一番有力だということで、私は最初にこの神社に参拝したかったのです。
ブラタモリも歩いた島
沼島と淡路島は3.5キロしか離れていないのですが、島の地層から、成立した時代が2千万年ほど違うそうで、平成になって沼島で発見された鞘型褶曲という岩に1億年前の地殻が記録されていて、はっきりと証明されているのだとか(淡路島の方が2千万年若い)。この珍しい岩を見に行くツアーもあるので、地層などに興味のある方には、よい観光スポットかもしれません。タモリさんのブラタモリでも紹介されていました。
と、話は逸れましたが、小さな沼島の中の移動は徒歩かレンタサイクルしかありません。でも行きたいところは坂道と階段だらけなので、やはり徒歩が一番です。12月だというのに汗だくになりながら、神社とそして上立神岩を目指します!
国と神々を産んだ神の降り立った島・沼島
自凝神社の社殿は小さいながら、2柱の絵と像がこの地の意味を教えてくれます。沼島と淡路島を結ぶ港の見える高台までは、ながーい階段で、へたれの私は友人から遥かに置いていかれました。
上立神岩は、港の反対側ですが、自凝神社へ行くよりは楽な道すがらです。天気が良過ぎて半袖でもいいくらいの中「暑いよー」「日焼けする〜」と真冬とは思えないセリフを友人にぶつけながら、上立神岩の見える高台に到着した時にはちょっと感動しました。
「これは本当に神代の時代からあった気がする」そんな姿に感じられたのです。余談ですが撮った写真を見返して「地球は丸いんだなぁ」とも。
ここまで書いて、まだ淡路島の紹介が「ゼロ」って…。
今回は、沼島と上立神岩の紹介にとどめ、次回に続く。