このところ、ネットを開くと龍角散の「神田祭」の広告がやたらと開くようになって、「やっぱり私が神社仏閣のサイトばっかりみてるからかなぁ」と思っていたら、テレビでも同じ広告が流れていることでハタと気がつきました。もう5月、お祭りの季節がやってきたんだ!ということに。
3年というもの、お神輿らしいものは出ず、露店など自粛の嵐で、昨年末ころからポツポツ境内に現れ始めた感はありましたが、行動制限解除となった今、皆、お祭りを待っていたんだなーと。
「江戸三大祭」とは?
ところで、日本三大祭と言ったらどこのお祭りをあげますか? 住んでいらっしゃる場所にもよるでしょうし、好きな季節によっても違うかもしれませんね。東京では「江戸三大祭」といえば、神田・山王・深川祭りとなります。神社名で言えば、神田明神・日枝神社・富岡八幡宮ですね。
5月の大祭という観点から言えば、大國魂神社・神田祭・三社祭となりますか。
大國魂神社は、武蔵国の総社として現在の府中に景行天皇41(西暦111)年5月5日に創建されたと伝わる古社です。この創建の日を中心に毎年5/3〜6に開催されている「くらやみ祭」は、国府祭を起源とした伝統的なお祭りとして知られています。武蔵国の一之宮から六之宮までの神さまが集まってお神輿の渡御や各宮の太鼓などが揃い、その壮大さを感じさせる力強いお祭りです。
神田明神は4年ぶりの本祭り
神田祭は、天下祭りとも呼ばれ、日枝神社と1年交代で盛大なお祭り(御幸祭)が行われます。コロナ禍のせいで、今年の神田祭の本祭り(御幸祭)は4年ぶりとなりますね。今年は少彦名命(神田明神ではえびすさまとも)をお祭りして150年の節目となるとか。神田明神という神社は、とても奇妙奇天烈な歴史を歩んできた神社で、主祭神・一ノ宮は大己貴命(だいこくさま)、二ノ宮が少彦名命、三ノ宮が平将門命ですが、元々は大手町にある将門塚のそばにあり、首塚ができて以来将門の鎮魂を任されてきた社のひとつでもありました。この地へ移転したのは江戸城の拡張のためで、江戸時代のことです。ところが、明治時代に将門を本殿の祭神から外すように政府からの圧力があり(天皇に弓引いた国賊)、昭和59(1984)年まで本殿に戻されることはありませんでした。という訳で、明治7(1874)年に代わりに少彦名命が祭神として祀られるようになったのです。理由の150年目になるわけです。これを標榜するのは、やっぱりちょっと明治政府に対する不満のようなものを表しているのでしょうかね。
神田祭がこのような盛大になったのは江戸時代からだと言います。天下祭りの名は、将軍上覧のために祭列が江戸城の中へ入れたためです。毎年、日枝神社と交代で将軍が山車を楽しんでいたのでしょう。今年の神田祭は5/11〜17ですが、お神輿が出て氏子が町内を練り歩くのは13・14日の両日となります。
三社祭の盛り上がりは近年のこと
そして翌週の5/19〜21には、浅草神社の三社祭が行われます。三社祭の歴史は古く、その原型は鎌倉時代にはあったと言われています。三社祭が江戸時代に番付に上がることなく人気を得られなかったのは、毎年行われていなかったこともありますが、浅草の地形が大きく変わったことも影響しているのかもしれません。
浅草神社の社紋を見ると分かりますが、浅草寺や神社ができた当初、このあたり一帯は海(というより河口)で住民は漁師たちでした。浅草のかんのんさまは、この漁師の網によって引き上げられた仏さまですからね。そして仏さまを引き上げた漁師を祀っているのが浅草神社です。
ですから、徳川幕府によって大幅に埋め立てられてしまった浅草付近の漁師たちは、品川・大森などに移り住んでしまいました。これら元住民たちが参加するお祭りだったことから「助祭り」とも呼ばれていたようです。幕末に、氏子たちが暴力沙汰を起こし神輿の渡御が禁止され、明治以降は神仏分離令の影響もあって祭礼は廃絶してしまいました。現在のように復活したのはかなり最近のことです。ですが、いろいろ問題も起きてしまいやっとまともな神輿が…と期待していた矢先にコロナ禍で3年も中断してしまいました。数えれば700年以上も歴史を持つお祭りなんですよ。
このほか、東京のオススメのお祭りは
このほか、スサノオを祀る素戔雄神社(荒川区)では5/31〜6/4に、品川神社・荏原神社(品川区)では6/2〜4に天王祭が執り行われます。スサノオと言えば、京都の祇園祭、尾張津島天王祭など7月に行われるイメージが強いですが、武蔵国では梅雨の季節、水の神さまの印象が強いのでしょうか。荏原神社のお神輿は、お台場で海中での神輿洗いの神事も行われます。品川沖の「天王洲」の名の由縁ですね。
私のお気に入りどころですと、5/14にある(お寺とは関係ないですが)「豪徳寺たまにゃん祭り」、5/28の代々木八幡宮「金魚まつり」などでしょうか。この3年で、本当は3年ごと、5年ごとにあった本祭りが飛んでしまった寺社もあり残念極まりないですが、今年からは元に戻れることを期待します。