金沢と築地の関係は? 加賀一宮・白山比咩神社に参拝

一宮
兼六園から見た金沢城

兼六園から見た金沢城

お正月に受けた被害からの復興がまったく進んでいないながら、世間からはすっかり忘れられているかのような石川県に旅してきました。もちろん「北陸割」という魅力的な言葉に魅かれてではありますが。しかしながら、こんなショボい支援でいったいどれくらいのお金が地元へ入るのか、経済に疎い私でさえ国の支援がみっともないほど少ないことがわかります。今頃つけた予算が、極寒の震災直後に、外に放り出されたままの人たちに対してどれだけの役に立つというのでしょう。現地に行ってその気持ちはますます強まりました。ほとんど被害がなかったと言われる金沢市内でさえ、未だに仕事に戻れない人たちがいたのです。ここは発展途上国か、と思いました。日本は神に見捨てられてしまったのでしょうか。

金沢神社(結婚式やってました)

金沢神社(結婚式やってました)

江戸時代、都に次ぐ裕福さを誇った加賀

石川県、古い呼び名では加賀国と能登国になりますが、江戸時代にこの地を治めた加賀藩は、大名の中で最大の石高を有して加賀百万石と称され、江戸・大坂・京に次ぐほど裕福な藩でした。正確に言えば、加賀藩の領地は現在の富山県の一部も含み、能登半島には幕府領もありましたが、長く続いた戦国時代の発端である応仁の乱の端緒、畠山氏と斯波氏の地盤であり、一向一揆などでも知られる土地柄でもあります。日本海から得られる豊かな富は、古来この地を繁栄させてきました。金沢といえば「金箔」と言われるほど有名ですが、現在、日本で作られる金箔の98%が金沢で打たれているのだとか。金沢市内を歩くと、いろんなものが金箔で彩られています。ソフトクリーム、コーヒー、カステラ、キャンディ、もちろん、漆器や陶磁器、お箸や着物など。金箔をお土産にできるのは金沢市ならではでしょう。

金城霊沢

金城霊沢

金箔の町・金沢の名の由来

「金沢」という地名の由来は、昔山芋を洗っていたところ砂金が出て、その場所を「金洗いの沢」と呼んだことに始まります。現在、この場所は「金城霊沢(きんじょうれいたく)」と名づけられ、兼六園にある金沢神社に隣接する形で残されています。この逸話は「イモほり藤五郎」という昔話として語られて、テレビアニメとしても放映されました。
日本全国に「金沢」と称する土地はたくさんありますが、いずれも鉱石が出土した場所なのでしょう。ですが、その名を現代まで引き継ぎ、「金」を名産としているのは石川県の金沢のみなのではないでしょうか?
ちなみに金沢神社の祭神は、天神さま(菅原道真)と白蛇龍神です。江戸時代に前田家の祖である(と称していた)道真の舎利を祀って創建されました。

白山比咩神社・神門

白山比咩神社・神門

加賀国の一宮は「しらやまさん」と呼ばれ

そんな加賀国の一宮・白山比咩(しろやまひめ)神社は、全国に2千超ある白山神社の総本宮です。石川・福井・岐阜にまたがる白山をご神体として、奈良時代の修験僧・泰澄が開山、祭神は菊理媛神(くくりひめのみこと/白山比咩神)と伊弉諾(いざなぎ)尊・伊弉冉(いざなみ)尊になります。
黄泉の国で争いとなったイザナギとイザナミの仲をククリヒメが仲裁した、という話からこの3柱を祀る社は、縁結び、和合の神としてのご利益があるとされています。そうそう、加賀一宮では白山は「しろやま」と呼び、他の地域は日本全国「はくさん」と呼びます。古い時代にはお山の名を「しらやま」と呼んでいたようですが、今では「はくさん」と呼びます。いつから呼び方が変わったのでしょうね。
白山信仰は、山岳信仰で奈良時代からずっと九頭竜王や明神・大菩薩・権現を祀る神仏習合として浸透していきました。白山比咩神社も明治維新までは白山寺であり、越前側には平泉寺(現在は平泉寺白山神社)、美濃には長瀧寺(現在は長瀧白山神社)というお寺が白山信仰の大元を務めていました。

白山山頂にある奥宮の遥拝所

白山山頂にある奥宮の遥拝所

日本には欠かせない水の神さま

この3寺は長い間、白山山頂の権利を争いながら勢力を広めていきました。平安時代には白山権現は熊野権現に次ぐほど隆盛を極め、戦国時代に熊野への入山が難しくなった時代には、最大勢力となったといいます。一方で、大きくなったお寺には僧兵が集まり、対立する宗教・宗派と争いが絶えなくなり、一時は衰退してしまいました。一向一揆などは全国的に有名ですね。これを立て直したのが加賀藩・前田家です。
さて、この土地が豊かであった理由のひとつが「水」であったとも言われます。上記、金沢神社の祭神が白蛇であり、白山の神が九頭竜であることを考えると、いかに水を大事に考えていたかがわかります。このことから、日本全国に広がる白山神社は、水に関係している土地に勧請されていったようにも見えますね。もちろん、天台宗末寺であったこと、権力者が信心したことなども根拠とされていますが、良い水のある場所と関係が深いことも事実です。

スカイ獅子吼から手取川を望む(花曇りで日本海はみえず…)

スカイ獅子吼から手取川を望む(花曇りで日本海はみえず…)

獅子吼と獅子頭と築地の関係

一宮から車で数分、歩いても10分くらいの場所に「獅子吼(ししく)高原」があります。ここからゴンドラに乗るとハングライダーで人気のスカイ獅子吼へと登ることができます。ここには獅子吼白山比咩神社や白山仏舎利塔も作られています。獅子吼とは仏教用語で、“釈迦の説法の威力を獅子が吠えるさまに例えた”を意味しますが、白山を開山した泰澄がこの付近4カ所で宿泊したことで「四宿」(あるいは「止宿」)と呼ばれていたものが、変化した地名だと言われているようです。
金沢には「加賀獅子」と呼ばれる伝統芸能があり、白山比咩神社や金沢百万石まつりでは加賀獅子舞が毎年披露されています。すでに戦国時代にはそのルーツが記録され、獅子頭は魔除けや厄除けなどの縁起物として広く一般に広まっていました。獅子吼と呼ばれた一帯は、昭和初期まで獅子頭作りの作業所で賑わっていたようですが、現在は1工房が残るのみとなっています。

加賀の獅子頭

加賀の獅子頭

お祭りで担ぎ出される波除神社の大獅子

お祭りで担ぎ出される波除神社の大獅子

「獅子頭」を祀る神社と言えば、東京住みの方ならピンと来るかもしれません。そうです、築地にある「波除神社」には大きな獅子頭が1対祀られていますね。実はあの大獅子は、この地の最後の工房で作られ奉納されたものなのです。今も、波除神社の宮司は白山比咩神社を訪れ、波除神社にはこの地で獲れたお米が奉納されているそうです。私はこんなところで築地の獅子頭と出会えてとても感激をしました。いしかわ応援旅行割(2024年7月31日宿泊分まで)を利用して、石川県を訪れる東京都民のみなさんには、是非、この獅子頭を見てもらいたいと思います。波除神社のお祭りでは、この獅子頭が御神輿として担ぎ出されるのです。市場がなくなっても、もしかしたら球場がやってくるかもしれない築地のご利益は、獅子頭のご加護のおかげかもしれませんね。

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