コロナ禍の中でも、私が欠かさず出かけていたお祭りが浅草寺の「ほおずき市」です。この名だけですと、ただ、ほおずきを売ってる日と勘違いしそうですが、実は「四万六千日」という観音さまの功徳日に開かれた市が始まりになります。
これを縁日とも言いますが、境内に露店が並ぶことを縁日というわけではなく、ある神仏とゆかりのある日を意味し、つまりこの日にお参りすると他の日に比べて大いにご利益が増すということから功徳日と考えられてきました。ちなみに浅草寺の本尊「聖観世音菩薩」の縁日は 毎月18日、観音さまが本尊の多くのお寺も同じ日です(違う縁日をお持ちのお寺もあります)。
一生分の祈願ができる日
そして、その縁日の中でもお参りすると46000日分(約126年分)お参りしたことに相当すると、江戸時代の享保年間の頃から、言われるようになったといいます。
元々、京都の愛宕神社や清水寺、大阪の四天王寺などで1度の参拝で1000日分のご利益があると言われる「千日詣で」あるいは「千日参り」という古くからの習わしがあり、これを江戸っ子たちがもっと大きく「一生分」のご利益を得られる縁日と広めたとも言われます。
一生=一升(米粒/46,000粒)を懸けたという説です。
「四万六千日」は次第に広がって
こういうお祭り(縁日)は、どんどん話がつながっていくので大変面白いものです。
次第に四万六千日は観音さまの縁日となっていきます。これは京都・清水寺の流れでしょうか。関東で四万六千日は、浅草寺だけでなく、観音さまを本尊とする護国寺や光源寺(駒込)、鎌倉の杉本寺や長谷寺、千葉の那古寺などでも行われるようになりました。もちろん、江戸で人気のお祭りは全国へも広がっていき、各地の観音さまのお寺でも四万六千日が催されているようです。
観音さま縁日とほおずきの結びつき
では、どうして四万六千日とほおずきが結びついたのでしょう。
「ほおずき市」の始まりは愛宕神社でした。京都の愛宕神社ではなく徳川家康が江戸入りした際に建立した、現在の港区にある愛宕神社の方です。「ほおずき」は病気を治すことができる植物として人気があり、江戸時代の中頃には季節の変わり目の体調を崩しやすい夏の始まりに縁日で売られるようになっていました。
愛宕神社といえば「千日詣で」で知られていることから、四万六千日の浅草寺でもやがて「ほおずき」が売られるようになったのです。
雷除けの始まりは「とうもろこし」
四万六千日のお守りと言えば「雷除け」です。
「雷除け」とは、観音教に由来するもので、心が乱れるような事態に遭遇した折りにも心を静められるようにと授与されているものです。もちろん、雷に打たれれば心穏やかになど過ごせませんしね。
始まりは、四万六千日の市に出ていた「とうもろこし売り」に由来します。ある年、「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが、落雷の被害に遭わなかったことから、以降「雷除け」として赤とうもろこしが売られるようになりました。
ところが、明治時代に入り、不作のため赤とうもろこしが手に入らず、代わりとなるお守りを浅草寺に願ったことから、現在の「雷除け」が誕生しました。今では、護国寺などでも「雷除け守」は授与されています。
江戸っ子の気質が縁日を広げた
さて、「四万六千日」縁日は7月10日です。ところがせっかちで有名な江戸っ子たちは、少しでも早く参拝したいと思い深夜から境内に詰めかけるようになり、いつしか7月9日も縁日に加わったのだといいます。このため、今では「四万六千日」縁日(ほおずき市)は7月9日と10日の両日に行われています。
ちなみに、明治以前までは旧暦で行われていたため、新暦以降の日程は、寺社によっては8月9・10日、あるいは旧暦の7月10日(令和5年は7月25日)に開催しているところもあります。
例年、7月9・10日、どちらかの日は雨の降ることが多く、今年もどうやら9日は雨予報です。うだる暑さとどちらがよいか悩むところではありますが、雨に濡れたほおずきの鉢も風流ですし、露店を楽しむならば雨はないほうがいいかなぁ。
すでに10生分くらいの参拝をした気もしますが、半分、浅草寺前のどら焼き目当てに今年も私は「ほおずき市」に出かけます。