「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、さすがに多少は秋めいてきましたね。まだまだ暑い日が続いてはいますが。
今年の寛永寺・不忍池弁天堂の巳成金はお彼岸の入りの日でした。早い時間は晴れていましたが、夕刻からスコールのような雨が都内をおそい、ニュースになるほどの荒天になりました。さすが巳の日、しかも巳成金だわーと感心したものです。(巳成金の詳細記事はこちらから)
四季のある日本だからこその節気
ところで「お彼岸」の意味について皆さんはどれほどご存知ですか? 春分・秋分の日と関係ある? では春分・秋分とは何を意味するのでしょう。
日本には四季があります。これを暦の上で分かりやすく表したものに「二十四節気(にじゅうしせっき)」というものがあります。節気、つまり季節を24の節で分けて説明したものです。一年を春分・夏至・秋分・冬至を4つに分け、その間を6つずつに分けたものが「二十四節気」となります。これは田植えや稲刈りなど農林水産業を営む人たちにとっては目安として今でも大事にされています。
「お彼岸」の語源はサンスクリット語
二十四節気の中でも春分・秋分は、太陽が真東から上り真西に沈み昼と夜の時間が同じになります。古代の人たちもこの日を特別に考え、この日を観測したり何かしらの祭祀を行なったりする施設を建設したようで、世界中にいろいろなものが残っています。
日本では、この日を中心とした1週間を「お彼岸」と呼びます。令和5年の秋分で言えば、9月23日で彼岸は9月20日から26日までになりますね。
「お彼岸」の語源は、仏教用語「パーラミター(サンスクリット語)」にあると言われています。
あちらとこちらが1年で一番近くなる日
パーラミターとは、“完全であること”“悟りに至る”などと訳されますが、日本では「波羅蜜(はらみた)」と表記され、般若心経の中などにも取り上げられている言葉です。つまり、欲や苦しみ、迷いから抜け出した悟りの境地に至ったことを意味します。このような状態にある向こう岸(彼岸)──亡くなって仏となった人たちのいる世界──と、こちら側(此岸)が一番近くなる日がこの時期だと考えたわけですね。
だから、ご先祖に会いにお墓参りに出かけよう、と昔の人たちは思ったのです。
元々は仏教とは関係のないお彼岸
不思議なことに、先祖供養とお彼岸を結び付けたのは日本人だけでした。
仏教にも道教にも、先祖供養という風習はありません。日本(南米などの地域にはあるようですが)に遥か昔から残っていた、土着の信仰が仏教の中にするりと入り込んでしまった上に、当たり前の行事のようになってしまったのです。神道でもなく、言うなれば先祖崇拝信仰とでもいえるのでしょうか? むしろ、仏教や神道が、この風習に相乗りした形で、今では催事が行われているというのが正しい認識です。
地域によって風習はさまざま
お墓参りということから言えば、お盆の翌月にお彼岸と2か月続けてのお参りになりますが、元の信仰が違うのでこれは当然ですね。ハロウィーンをやって、クリスマス、お正月と忙しい日本人らしい習慣ともいえるのではないでしょうか。もっとも、地域によっては、お彼岸にお墓参りをしないところもありますし、盂蘭盆(お盆)がとても早い時期に設定されているところもあり、狭いようで日本はやっぱり地域色が豊かだなぁと思い知らされます。
今でこそ、ネットで検索すれば、だいたいの事は調べがつきますが、インターネットがなかった時代には、他所から転居してきた人たちの苦労は、こういうところにもあったのでしょう。
「泣いた赤鬼」という昔話がありますが、鬼さんはただの移住者だったのかもしれないなぁ、と近頃思ったりもします。
今では、お彼岸には「おはぎ」をお供えし食べる習慣を普通のこととしていますが、正確には、この食べ物のことを春分には「ぼたもち」、秋分には「おはぎ」と呼びました。
小豆の「赤色」が魔除けとして考えられ、彼岸のご先祖が此岸へ迷い込むことのないようにとの「祓い」と考えられてのお供えものです。春は牡丹、秋は萩、それぞれの花に見立てた、とも言われます。でも「棚からおはぎ」とは言いませんねぇ。そして最近では、売り場ではほとんど「おはぎ」と呼ばれています。こちらも四季観がなくなってきているのかも知れないですね。