JR東日本が、内房を走る特急電車を減らすので、地元が反発しているというニュースが、先般流れていました。正直、アクアラインの通行料金が安価になって以来、内房への足は、神奈川方面からでさえ車の方が便利ですし、外房に比べて太い道が有料道路と並行して走っていますので、鉄道の優位性があまりないのは事実かもしれません。その分、外房への鉄道の期待は増しているのかもしれないなぁと思っています。
なぜ、このような話をするのかといえば。おひなさまだからです!
神さまの旅がつなぐ「勝浦」つながり
千葉県勝浦市にある遠見岬神社(とみさきじんじゃ)付近では、毎年3月3日までの2週間、「かつうらビッグひな祭り」と称したイベントが開催されています。「ビッグひな祭り」という名の始まりは、徳島県の勝浦町で始まったイベントで、今では「勝浦」つながりで千葉と和歌山でも雛人形を個性的な形で飾るひな祭りが行われているのです。このお祭りの期間中の5日間だけ、新宿からの直通特急列車が勝浦駅まで走るのです。
遠見岬神社の参道である60段の石段に、約1200体とも言われるおひなさまがずらりと並び、それはもう荘厳な景色を見せてくれます。このおひなさま、町内会の女子部の方たちが、期間中毎日朝に並べ、夕に片づけをするのだそうで、その手間たるや想像を絶しますね。
ふさの国を開拓した神さまを祀る遠見岬神社
さて、このお祭りの中心となる遠見岬神社の歴史は古く(835年に行った正殿修復の記録が残る)、祀られている祭神は房総半島を開拓した天冨命(あめのとみのみこと)を祀ります。天冨命は、初めに阿波国を開拓し、次いで肥沃な土地を求めて船に乗り、たどり着いた房総に麻や穀などを植えたことで、安房国は豊かな土地へとなっていったのです。安房国一宮である安房神社には、天冨命の祖父である天太玉命(あめのふとだまのみこと)が主祭神として祀られています。
遠見岬神社は、天冨命が亡くなった場所に社殿が作られたことが始まりと言われています。ここは八幡岬の先、富貴島という場所にあったと言われていますが、江戸時代の慶長6年に津波で流されてしまいました。その後、2度の移転と再建を経て、現地に移ります。
それまでは富大明神と神仏習合の名で呼ばれていましたが、明治時代に遠見岬神社と名前が改められました。
豊かな国の別名こそが「ふさの国」
房総半島は、現在、ほぼ千葉県ですが、律令国制の時代には安房国、上総国、下総国と分かれていました。勝浦はギリギリ上総国に振り分けられています。この時代、それほど房総半島が豊かで、営みが活発な土地だったということでしょう。考えてみれば、今でも都心に近いのに、農産物や海産物などを多く出荷していて、東京の台所を支えている土地でもあります。
ということで、外房側もJR安房鴨川駅まではわりと便利な特急電車が走っています。
飾られるおひなさまの多くは寄贈品
話を「ビッグひな祭り」に戻しましょう。
遠見岬神社は、JR勝浦駅からは徒歩10分ほどですが、神社付近の商店や道沿いなど町中に小さなおひなさま飾りが施されています。また、神社の北東側に位置する覚翁寺前に大ひな壇が登場します。いずれも屋外に並べられていますので、先日のような大風では、大変だったのではないかと思います(雨天・荒天は中止になるようですが)。これら、おひなさまは、皆さんから寄贈された人形がほとんどで、徳島の勝浦から譲られた7000体のおひなさまが始まりなのだとか。現在は、3万体以上がさまざまな場所で飾られているようです。おひなさまの募集は、前年の9〜10月の間に行われているようですので、お手元に残るおひなさまを寄託されたい方は一度ご検討されてみては? ご自分のおひなさまが、神社の石段に並んでいたら、ちょっと感動ものですよね。
3万体ものひな人形が並ぶ、神社のほかお隣の町・御宿では「つるし雛」めぐりも楽しめます。ちなみに、私は帰りに山間のお蕎麦屋さんに寄って帰ったのですが、ここにもおひなさまが飾られていました。そして、お店の看板横には小さなかわいいおひなさまも。
おひなさまという行事についての詳細については別稿でご紹介していますので、そちらをご参照ください。
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